1、余りの大ベストセラーに引いてしまった「ノルウェイの森」
村上春樹が1987年に発表した小説「ノルウェイの森」は、累計で1000万部を超える、純文学としては考えられない大ベストセラーとなりましたので、読まれた方も多いと思います。
当時は、「ノルウェイの森」の大ヒットに煽られて、時ならぬ「恋愛小説ブーム」が訪れ、村上春樹自身が手がけた印象的な装丁をマネした恋愛小説が、山のように出版されました。
しかし、私は余りの大ブームにかえって引いてしまい、ブーム当時は読む事を避けていました。「ノルウェイの森」は「純愛小説」と宣伝されていましたが、私はあまり「純愛小説」に興味がなかったし、「純愛小説に『ノルウェイの森』ってタイトルは、おかしいのではないか?」とも考えていたのです。
(なぜ、おかしいと思ったのかは、これからお話します)
しかし、ブームが過ぎ去ってしばらくたってから、ふと手に取ってみた「ノルウェイの森」は、私の先入観を超えた優れた小説でした。
2、純愛小説?「ノルウェイの森」
実際に読んでみると、「ノルウェイの森」は、いわゆる「純愛小説」とは、ちょっと違った苦い小説でした。そして「ノルウェイの森」というタイトルは、その内容を見事に象徴していたのです。
村上春樹の「ノルウェイの森」は、「暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた」という37歳の「僕」の印象的な語りから始まり、主人公と、自殺した友人の恋人で心を病んでいる直子との関係が回想されて行きます。
村上春樹の、この小説では、題名となったビートルズの「ノルウェイの森」が、主人公と直子の思い出に結びついています。そしてこの題名は、同時に、実は一筋縄でいかないこの物語を、皮肉に象徴しているのです。
Beech woods in summer / wallygrom
25th Ickworth Wood & Craft Fair 2014 / Dave Catchpole
3、ビートルズの「ノルウェイの森」の真実
ビートルズが1965年に発表した名曲「ノルウェイの森」は原題が「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」で、これが誤訳であるのは、今では有名な話です。森ならwoodsのはずで、Norwegian Woodは「ノルウェイ産の木材」という意味になり、部屋の内装や家具に使われる安っぽい木材のことだそうです。
今の日本に合わせて「超訳」すれば「ニトリの家具でいっぱいの部屋」みたいな感じのタイトルでしょうか。
歌詞は、ジョン・レノンが妻に隠れて浮気をした経験が基になっていて、「仲良くなった女の子の部屋に行ったらNorwegian Woodの安っぽい内装だった。ヤラせてくれるかと思ったら、彼女は『明日、仕事が早いのよ』と先に寝てしまい、俺は風呂場で寝ることになった。朝、起きたら彼女はもう出かけていたので、部屋に火を付けてやった。ノルウェイ産の木材は良く燃えるね」といった、ヒドイ内容なのです。
日本では、「ノルウェイの森」という邦題と優しいメロディのせいで、ラブソングのように聴かれて来ましたが、実際にはトンデモナイ歌だったのです。
4、「ノルウェイの森」というアイロニー
翻訳家でもある村上春樹は、当然、この「『ノルウェイの森』の誤解」について良くわかった上で、小説の題名にしています。
村上春樹は、明確に語ってはいませんが、これは単にノスタルジーを喚起するために、当時のビートルズの名曲を題名に付けたワケではなく、明らかに「『ノルウェイの森』についての誤解」というアイロニーに、小説の内容を象徴させているのです。
自殺した友人の恋人で精神を病んでしまった直子と再会した主人公は、何とか彼女の心に近づき、救いたいと考えますが、結局それは叶いません。表面的には、二人の「悲恋」を描いているように見えながら、最後まで、二人の心は全くシンクロせず、すれ違ったままなのです。
それは、残酷な滑稽さでもあります。「若者のエゴ」を歌った曲である「Norwegian Wood」が「甘いラブソング」だと思い込まれていたように。
5、大衆は、フレンチ・キスをノルウェイの森で交わす
「ノルウェイの森」は「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーで発売されましたが、村上春樹によると、本当は「100パーセントのリアリズム小説」というコピーだったそうです。
この作品は、人に対する想いの「断絶と喪失」というシリアスで重いテーマを、恋愛小説という甘い包装紙で包んだことによって、社会現象を起こすまでの大ベストセラーになりました。
「ノルウェイの森」は意識して作られたベストセラーではありませんが、「シリアスなテーマを大衆的なラッピングで提供する」という方法論は、AKB48という良くも悪くも日本中を巻き込むムーブメントを起こした秋元康が、「フレンチ・キス」という清純派アイドルのユニット名の背後に「ディープキス」というエロティックなイメージを忍び込ませた戦略と、通じるものを感じさせます。
「大衆にブームを起こす秘密」は、この辺りに隠れているのかもしれませんね。