1、夢の映画
アルフレッド・ヒッチコック
「なぜあんな綱渡りみたいな芸当をやろうとしたのか、自分でもよくわからない」
フランソワ・トリュフォー
「およそ映画を作る人間ならば誰もが生涯に一度は必ずやってみようと思う夢の企画、夢の映画ではないかと思うのです」
今年度のアカデミー賞撮影賞に輝いた「バードマン」が採用した「一本の映画を全編ワン・カットで描く」という手法に、映画史上で初めて挑んだのは、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックがジェームズ・スチュアート主演で1948年作った「ロープ」という作品です。
2、ヒッチコックの「ロープ」
「ロープ」は1924年に実際に起きた殺人事件をモデルにした舞台劇の映画化です。
ニーチェの超人思想にかぶれた二人の青年が「自分たちの優秀さを証明するために」動機なき殺人を実行します。さらに青年たちは「自分たちが人とは違う」優越感を味わうために、死体を隠した高層マンションの部屋に被害者の家族や恩師の大学教授を招き、パーティを催すのです。やがて、ジェームズ・スチュアートが演じる大学教授は、自分の教えを歪んで受け止めた元生徒たちが、恐ろしい罪を犯したことに気が付いて行きます。
「ロープ」の原作は、パーティにおける90分の出来事をちょうど90分の舞台劇にしていて、ドラマの中の時間と現実の時間が一致するスタイルを採っています。
「舞台の方は物語の実際の時間と同じようにドラマが進行する。つまり、幕が上がってから下りるまでの連続した話である訳だ。これを全く同じ方法で映画に撮る事が技術的に可能だろうかという問いを私はあえて自分に課してみた」
3、史上初の長回し撮影
そこで、アルフレッド・ヒッチコックは、「舞台をそのまま映画に置き換える」ことにしました。つまり、90分の作品全編を一つの連続したカットで撮影するという、映画史上初の長回し撮影にチャレンジしたのです。
もっとも、当時のキャメラのマガジンに入るフィルムの長さは最長10分でしたから、本当にワン・カットで撮影できたのは10分間だけで、次の10分間とのつなぎ目は人物の背中を通したりして、一本の映画が完全にワン・カットであるかのように見せていました。
それでも、この前例のない撮影は困難を極めました。とにかく撮影の段取りが複雑だし、にも関わらずミスが許されません。ミスしたら「最初からやり直し」なのです!
「撮影がはじまってから4,5日後に、じつはキャメラマンが<病気>と称して逃げてしまった」
トリュフォー「ヨーロッパでは、パリでは、とてもありえない撮影ですね」
ヒッチコック「ハリウッドでも同じだよ!」
「ロープ」は批評的にも興行的にも、まずまずの成功を収めました。
和やかなはずのパーティの中で、主人公の大学教授が教え子たちの恐るべき犯罪に直面するドラマは、全編に緊張感が持続していて、今観ても面白い作品です。しかし、高層アパートの一室に限定され、アクションもなく会話だけで進行してゆくので、少し窮屈でおとなしい印象も否めません。
From the 31st Floor of the Empire State Building, NYC / Jeffrey
ヒッチコック自身は後に、全編ワン・カット撮影に挑んだこの作品を、失敗だったと断じています。
「いまふりかえって考えてみると、ますます、無意味な狂ったアイデアだったという気がしてくるね。というのも、あのようなワン・カット撮影を強行することは、とりもなおさず、ストーリーを真に視覚的に語る秘訣はカット割りとモンタージュにこそある、という私自身の方法論を否定することに他ならなかったからなんだよ」
ヒッチコックは、本来は細かいカットを積み重ねて映画のサスペンスを生みだすのが得意で「編集こそ映画だ」と考えている監督でした。
それなのに、なぜ「一本の映画をまるまるワン・カットで撮る」という、自分の得意なスタイルと真逆の映画に挑んだのでしょう?
次回「長回し撮影への誘惑」最終回で、そのお話をしたいと思います。