異色の原爆映画「太陽を盗んだ男」


1、異色の原爆映画

1945年8月6日は広島に原爆が投下された日です。日本映画には今村昌平監督の「黒い雨」を始め原爆をテーマとした作品がいくつかありますが、決して多くはありません。一瞬にして10万人を超える命が奪われた、原爆という日本に余りにも深い傷を残したテーマであるにもかかわらず、と言うより「だからこそ」なのでしょうか?


原爆ドーム / daipresents
 
慰霊碑からみた原爆ドーム / n.kondo

1979年に異色の原爆映画が公開されました。長谷川和彦監督、沢田研二主演の「太陽を盗んだ男」です。

沢田研二演じる中学校の理科教師は、原子力発電所からプルトニウムを盗み出し、たったひとりで原爆を開発して、日本政府を脅迫します。しかし、原爆は作ったものの、彼には日本政府を脅迫する「目的」がなく「野球のナイター中継を最後までやれ」とか「ローリング・ストーンズを来日させろ」(どちらも、当時の日本では実現できないことでした)といった「どうでもいい」事を要求するしかない、という奇想天外かつ皮肉なアイディアの作品でした。

2、観る者を圧倒するパワー

原案・脚本は、「ザ・ヤクザ」や「蜘蛛女のキス」で知られるレナード・シュレイダーで、英語でも日本語でも脚本の書ける人でした。
主演の沢田研二は、当時、まさにトップ・アイドル・スターで、初主演作が非常に過激なテーマの作品であることに、周囲の抵抗もあったと思いますが、本人の強い希望で実現しました。
長谷川和彦は、これが監督第2作。初監督作品「青春の殺人者」で鮮烈な登場をし、「太陽を盗んだ男」でも高い評価を得ますが、この作品で燃え尽きたかのように、以後、沈黙をしてしまいます。それも仕方がないのか?と思わせるほどの「密度の濃さ」がこの作品には込められています。

「太陽を盗んだ男」は、その挑戦的なテーマと作品に込められた熱量の大きさ、そしてツッコミどころ満載のキッチュさも含め、凄まじいパワーで今も観る者を圧倒します。
私は、定期的にこの映画を観る衝動にかられ、観終わった後は、しばらくの間は興奮が冷めません。

3、信じがたいゲリラ撮影

「太陽を盗んだ男」は、主人公がアパートの一室で原爆を作る過程や、菅原文太演じる刑事との攻防が、非常なリアリティで描かれる一方で、原子力発電所からのプルトニウム強奪や原爆を警察から奪還するといった重要なシーンがコミカルに処理されていて、当時からアンバランスさを指摘されていましたが、それすらも面白さに変えるエネルギーがありました。
そして、この作品には、バスジャック犯と警察による皇居前の銃撃シーンや女装した犯人の国会議事堂への潜入シーンなど、今ならあり得ないシーンのロケ撮影が連続します。

当時から「よく撮影が許可されものだ」と感心していましたが、実は全て無許可のゲリラ撮影で、逮捕されたスタッフも続出したそうです。

ちなみに皇居前でのゲリラ撮影では、監督の長谷川和彦が捕まると撮影が続行出来なくなってしまうので、助監督の相米慎二(!) やアルバイトの大学生(黒沢清!)が矢面に立ちました。もっとも、助監督の相米慎二も逃げてしまったので、警察に行ったのはアルバイトの黒沢清だったそうです。長谷川和彦、相米慎二、黒沢清、という名前の並びは、この作品の日本映画史における重要性を改めて感じさせます。


皇居 / Kentaro Ohno
 
Parliament of Japan / kazuletokyoite

4、映画史上最も美しいカーチェイス

「太陽を盗んだ男」の中で一番驚いたのは、他に車の全く走っていない、無人の首都高速で繰り広げられる犯人と警察のカーチェイス・シーンです。「一体どうやって撮ったのか?」と不思議でしたが、スタッフの車数台で首都高速の入口を塞ぎ「意図的に渋滞を起こして」撮ったゲリラ撮影だったそうです。今だったら、大事件になっているのではないかでしょうか?

しかし「太陽を盗んだ男」のカーチェイスは、勇ましくコミカルなのに、観ていると何故か寂しさに胸をしめつけられるような、印象的なシーンになっています。美しく撮られたカーチェイスのバックに、メランコリックで静かな曲を流した音楽演出が素晴らしく、映画史上で最も美しいカーチェイス・シーンではないかと思います。


on the highway 11 / midorisyu
 
i-phoneで銀座01 / midorisyu

5、主人公はテロリスト

「太陽を盗んだ男」が、今のアクション映画と最も違うのは、沢田研二の演じる「主人公がテロリスト」であることです。2016年にこの作品が映画化されるなら、主人公は菅原文太演じる刑事なったことでしょう。でも、1970年代当時は、これは普通でした。アクション映画の主人公は、多くの場合「体制に刃向かう者」か「体制から外れようとする者」で、ラストは主人公の破滅で終わったものです。

この作品も「目的なきテロリスト」である主人公は、破滅して行くのですが、ラストに「いや、戦い続けることこそが目的であり意味なのだ」という、さらに挑戦的なメッセージを観客に突きつけることで、70年代の反体制的エンタテインメントから一歩前に踏み出しています。

「太陽を盗んだ男」は、エンタテインメントとしても無類に面白い作品ですが、唯一の被爆国である日本の一個人が原爆を作り日本政府と対決する、というストーリーの持つアイロニーは、今こそリアリティを持って、私たちの胸に迫って来るのではないでしょうか?
一見、原爆を軽いエンタテインメントとして扱っているこの作品の監督である長谷川和彦は、「胎内被爆児」であり、「特別被爆者手帳」の保有者でもあるのです。


Vogtle nuclear power plant, Georgia, USA / BlatantWorld.com
 
Steam from Philippsburg nuclear power plant / dmytrok

6、インディペンデント・プロデューサー

「太陽を盗んだ男」は当時の日本映画の水準を超えた圧倒的な作品だと思いましたが、残念ながら興行的には成功しませんでした。私は初公開時に渋谷の劇場に駆けつけましたが、映画館はガラガラでした。しかし映画の中で、劇場のすぐ近くの東急本店が重要な舞台になるので、その「現実感」にドキドキしたものです。

「太陽を盗んだ男」を制作した山本又一朗は、30代になったばかりの、ほとんどキャリアのない、インディペンデントのプロデューサーでした。興行的に失敗したとはいえ、プロデュース第2作で、このような挑戦的な大作を作り上げたのは、やはり驚嘆すべき成果です。インディペンデントだからこそ、成し得たことなのかもしれません。

当時、斜陽になりかけた日本映画界に、角川春樹、山本又一朗、西崎義展といった若いプロデューサーが映画界の外から現れて、日本映画に新風を呼び込んでいました。

映画興行の専門家は、「太陽を盗んだ男」のような娯楽大作映画を興業的に成功させるには、その映画のクオリティだけでは不十分で、角川映画なみの型破りな宣伝力も必要だったと指摘しました。

角川書店の若きオーナーであった角川春樹が映画に進出した角川映画は、その圧倒的な宣伝も含めて、1970年代後半から1980年代にかけての日本映画をリードします。

次回は、そのお話をしたいと思います。

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