マイケル・チミノ、天国の門から地獄に堕ちた男 ② 「描写とドラマのアンバランス」の天才


1、独自のスタイルが生んだ栄光と挫折

マイケル・チミノは「ディア・ハンター」(1978)で、正にアメリカン・ドリームそのものというべき輝かしい成功を収めましたが、次作の「天国の門」(1980)では酷評の嵐に見舞われ、経済的にも巨大な損失を生みだし、映画監督としてのキャリアが完全に終わりかけました。この極端な栄光と挫折は、単なる運不運ではなく、彼の映画作家としての「スタイルそのもの」が生んだものではないかと思うのです。

それは、ストーリーの流れを壊すほどの描写への強いこだわりです。これこそ、マイケル・チミノの突出した才能であると同時に、致命的な弱点だったのです。

2、「天国の門」の問題点

「天国の門」は3時間半という上映時間が余りに長いということで、日本では2時間の短縮版が公開されました。日本で公開される頃には、米国での酷評や興行的失敗はすでに伝えられていたのですが、実際に観てみると、短縮版なのでストーリーは分かり難いにもかかわらず、開拓時代末期の西部を捉えた映像の厚みは素晴らしい出来映えでした。
特にクライマックスの、牧場主の傭兵軍に襲われた東欧の移民たちが戦う場面、敵も味方も分からないほど入り乱れた戦闘シーンの迫力には圧倒されました。
しかし、ストーリーと長い描写のバランスが、なんだかギクシャクしている感じも受けたのです。

これは、短縮版であるせいに違いないと思い、後に完全版が公開された時に、劇場に駆けつけたのですが、短縮版の問題点は解消されていませんでした。

「天国の門」完全版は、各シーンが極端に長くなり、しかも、その長くなった分はドラマではなく描写に費やされていたので、短縮版よりも却って物語の流れに乗り難くなる結果になっていました。余りにも長いので、観ているうちに、何だかドラマがどうでもよくなってしまう感じなのです。


Wyoming / Boss Tweed

Cabin on Jenny Lake, Grand Tetons / inkknife_2000 (6.5 million views +)

3、描写が誘う「映画の中の日常」

マイケル・チミノ監督は「描写」に驚異的な粘りを見せる人で、「天国の門」でも撮っているうちにどんどん長くなり、完成当初のオリジナル・バージョンは5時間以上あったそうです。チミノの描写には、観ていると自分が「映画の中の日常」に入り込んで行くような独特の魅力があります。一方で、ストーリー・テイルの完成度には余り関心を持たない人で、その長所も短所も日本の相米慎二を連想させます。

映画を撮っていると、いつも、シナリオよりどんどん長くなってしまうマイケル・チミノの本質は大河ドラマ作家ではないかという意見がありますが、それはどうでしょう?
チミノの作品が長くなるのは、ドラマを語るためではなく描写のためです。それは、登場人物たちの世界を押し広げ豊かにし、リアリティは増しますが、ドラマのダイナミズムは停滞してしまいかねません。

実際、「天国の門」完全版では、各シークエンスの全てが均等に長く、描写の粘りがストーリーを盛り上げるのではなく、逆にストーリーの力を削ぐ結果になっていたと思います。

4、描写とドラマのアンバランス

その点、マイケル・チミノの代表作「ディア・ハンター」は、描写とドラマが非常に見事なバランス、というよりアンバランスを見せていました。

「ディア・ハンター」の前半では、ロシア系移民社会での結婚式やベトナム従軍を前にした青年たちによる鹿狩りの光景が、バランスを失して延々と、しかし瑞々しく魅力的に描かれます。そこにあるのは貧しい青年たちの日常だけで、1時間以上「ドラマ」は全くありません。
そして、映画は一気に緊張感に満ちたベトナムへ飛び、ベトナム軍に捕らえられた主人公たちが決死の脱出を試みる、ダイナミックでエキセントリックな展開が畳みかけられます。

この、従来の映画の常識を破る極度にアンバランスな「緩急のリズム」こそ「マイケル・チミノの世界」であり、世界の映画ファンが「新しい才能」の登場を実感した部分だったのです。


Deer / Martin Svedén

Vietnam / Padmanaba01

5、奇跡の成功「ディア・ハンター」

後半のベトナムで北ベトナムの捕虜となった主人公たちがロシアンルーレットを強制させられる展開は、当時からリアリティの点で批判が加えられていました。しかし、前半の主人公たちの青春の日常があまりにリアルだったために、観客は後半の異常な展開にも納得させられてしまったのです。

「ディア・ハンター」は、ベトナム戦争やアジアに向ける視線がリベラルではないという批判もありましたが、ロシア系移民の主人公たちの静かな日常とベトナム戦争のパッションが生む不思議なアンバランスは、今観ても圧倒的で、思わず引き込まれてしまいます。

しかし、このマイケル・チミノのスタイルが、ストーリーの迫力や魅力を高めていたのは、結局「ディア・ハンター」だけで、他の作品では、やはり「ストーリー・テイルにとっては」マイナスになっていたと思います。

その意味では、やはり「ディア・ハンター」はマイケル・チミノのスタイルが見事に内容を高めた奇跡のような成功作だったのです。


6、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」での復活

「天国の門」でハリウッドから完全に孤立してしまったマイケル・チミノに手を差し伸べたのは、イタリア人の大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスでした。ラウレンティスは、チャイニーズ・マフィアと刑事の対決を描いた大作「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(1985)の監督にマイケル・チミノを起用します。ラウレンティスには、芸術派や社会派の監督にエンタテインメントの大作を監督させるクセがあり、その発想からの起用だったのでしょうが、見事に成功したのです。

もっとも、これは想像ですが、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」では、監督のマイケル・チミノに最終編集権は無かったのではないかと思います。
「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」はマイケル・チミノにしては「語り口が普通」の作品で、描写へのこだわりがストーリーのバランスを壊すことがなく、いわゆる刑事アクションらしく、キビキビと展開します。

ラウレンティスは、他の監督にも最終編集権を渡さないことが多かったので、「問題児」マイケル・チミノに復活のチャンスを与えるに際して、保険をかけたのではないでしょうか?
少なくとも、この作品ではマイケル・チミノらしいアンバランスなスタイルは稀薄で、しかし、彼の「描写力」はしっかりと作品の力になっています。


Chinatown / janoma.cl

Chinatown / zoonabar

7、作家であることによる不幸

その後のマイケル・チミノは、再び「描写とドラマのアンバランス」なスタイルに戻って行くのですが、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の成功で最終編集権を手にしたからではないでしょうか。しかし、それらが「ディア・ハンター」のような目覚ましい効果を生むことはなく、次第にハリウッドの一線から消えて行くことになります。

「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」という、彼が自らのスタイルを「殺した」作品が、マイケル・チミノの数少ない成功作となったのは、皮肉な感じがします。

それでも、マイケル・チミノの魅力の本質が、ドラマを語る上ではバランスを失した「豊かな描写」にあるのは事実です。「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」と「天国の門」のどちらがより「チミノらしい作品」なのかと言えば、やはり「天国の門」でしょう。

そこに、私はマイケル・チミノという、描写とドラマのアンバランスという、彼にしかないスタイルを持ってしまった「作家であることによる不幸」を感じてしまうのです。

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