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「君の名は。」と時間SFの歴史を変えた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

1、日本アニメ健在を印象づけた「君の名は。」

2016年8月に公開された新海誠監督の長編アニメーション「君の名は。」は、今年の日本映画最大のヒットとなり、海外でも高い人気を獲得して「日本アニメ健在」を印象づけ、宮崎駿の「もののけ姫」の興行成績すら超えながら、いまだにヒットを続けています。

「君の名は。」の序盤は、東京に暮らす少年と飛騨の山奥で暮らす少女に起きた「入れ替わり」をユーモラスに描いて「転校生」的なファンタジーコメディを思わせます。しかし、ドラマはある瞬間を境に、3.11的なカタストロフを連想させる世界へとイメージが一挙に広がります。この展開は衝撃的で、私は大きな感動を受けました。
「君の名は。」のプロットには、誰もが指摘する大きな穴があるのですが、その「穴」こそが、この作品の感動を生むポイントになっているのがユニークです。

2、悲劇はもう一度やり直される

しかし、ドラマの後半は「主人公は悲劇の歴史を改変ができるのか?」という良くあるタイプの活劇になってしまうのが、個人的には少し残念でもありました。
あくまでも好みに基づく偏見ですが、私は「君の名は。」に感動しながらも、中盤の真相が明らかになるくだりをクライマックスとして、後半は全てカットして過去が改変されないまま終わって欲しかった、と思っていました。
私は、近年とても多い「悲劇の過去をもう一度やり直す」タイプのエンタテインメントが、実はあまり好きではないのです。

「君の名は。」は、時空を超えた男女のすれ違いの恋が描かれているので、一種の時間テーマSFであるとも言えます。タイムスリップなどのアイディアを用いた時間SFの歴史は古く、映画でも昔からずっと作られていますが、近年の特徴は「不幸な過去が改変され、ハッピーエンドになる」パターンが多いことです。今では普通の展開ですが、コレは、かつては禁じ手だったのです。

私は「君の名は。」に感銘を受けながら、時間SFに革命を起こしたある作品を思い出していました。


諏訪湖の雲 / kuracom
 
青藏高原 / 南市人

3、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」との出会い

時間SFは「過去に行った主人公が大きな歴史的事件に立ち会い、何とか歴史を変えようと努力するが敗れる」というのが基本パターンで、歴史という運命に抗おうとする人間の悲劇を描くのがテーマの一つでした。
そして、この基本パターンを、完全に打ち砕いたのがスティーヴン・スピルバーグ制作、ロバート・ゼメキス監督の大ヒット作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だったのです。

私は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を、偶然、日劇マリオンの先行オールナイトで観たので、その時はどんな映画か知りませんでした。飲み会の帰りに有楽町の街を歩いていたらマリオンの前に長い行列が出来ていて、酔った勢いで訳も分からずフラフラと列に並んでしまったのですが、それが先行オールナイトの列だったのです。

全く予備知識のないまま観た「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の面白さと観客の盛り上がりは、人生の中でも一二を争う楽しい映画体験でしたが、それまで時間SFを縛っていたルールを軽やかに破ってしまったラストには大きなショックを受け、酔いが完全に覚めてしまいました。

4、時間SFに起きた革命

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、両親の高校時代にタイムトラベルしてしまった主人公が、両親の恋のキューピットになろうと奮闘するコメディです。両親が結ばれなければ主人公は消えてしまう訳ですから大変です。タイムマシンを作った博士は、両親の青春時代で自由に振る舞う主人公に対して、盛んに「過去を変えてはならないんだ」と時間SFのセオリーを唱えるのですが、ラストで「硬いこと言うな」と自らルールを破ってしまいます。
時間SFに革命が起きた瞬間でした。
この作品が革命的なのは、時間SFのセオリーを、無意識にではなく、十分に分かっていながら意識的に破ってしまったことです。そこには大きなカタルシスがありました。

SF小説の翻訳家として有名な浅倉久志は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が時間テーマSFに与えたインパクトは「スター・ウォーズ」が宇宙SFに与えたインパクトに匹敵する、と話していました。

LA Live / Danny Thompson Jr
 
Los Angeles Downtown / Davide D’Amico

5、「何でもあり」となった時間SF

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が「過去を変えてはならない」というタブーを壊してから、時間SFは「過去は、いくらでも都合の良い様に変えられる」という「何でもあり」な世界に突入し、多くの作品が最期はハッピーエンドで終わるようになってしまいました。この傾向は、時間SFが本来持っていた筈の「厳しさ」「悲しさ」を失わせ、感動を削いでいるのではないかと思うのです。

タブーは、それを壊す瞬間にはカタルシスがあるのですが、タブーの破れた状態が何のためらいもなくデフォルトになってしまえば、それは、単なる退廃なのではないでしようか?

タブーを失った時間SFでは、多くの場合、作品の序盤では大切な人物が亡くなっているのですが、主人公の奮闘によって「死ななかったもう一つの歴史」に置き換わります。
アニメーション作家の宮崎駿は「物語作者は作中人物の殺生与奪の権利を持っているからこそ、人の死を安易に扱ってはならない」と語っていました。これは、恐らく宇宙戦艦ヤマト・シリーズに対する批判なのですが、私がかつて熱中していた「ドラゴンボール」を読むのをパタリと止めたのも、ドラゴンボールを使って死者を生き返らせてしまった時でした。


Old Town Scottsdale Picture / Phil Sexton
 
Old Town Leesburg / m01229

6、叶わぬ夢が叶う「夢」

人は人生や歴史のターニングポイントとなった瞬間について「あの時をもう一度やり直せたら」と夢想する時があります。時間SFは、この誰もが抱く夢想に対するチャレンジなのです。かつての、時間SFはこの夢に挑む人間の戦いと(否応なしに訪れる)挫折を描いていました。私たちは、その挫折に涙しながら、一度しかない人生に思いを馳せたのです。

今の時間SFは「夢は叶う」と囁きかけます。しかし、現実には、この夢は決して叶わないのです。
叶わない(と言うより、叶ってはいけない)「夢」の実現を提供してくれるファンタジーに浸りながら、人々は何に思いを馳せているのでしょう?

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