月別アーカイブ: 2016年5月

スターがアクターを受け止めた時、ドラマは輝く

1、再説・スター・タイプとアクター・タイプ

前回、レオナルド・ディカプリオとシルヴェスター・スタローンについて述べた時に「俳優には、スター・タイプとアクター・タイプがいます」と書きましたが、これは必ずしも一般的な言葉ではなく、たぶん私の造語に近いものなので、少し説明しておきたいと思います。

造語といっても、私が考え出したというワケではなく、この概念の基本を教えられたのは小林信彦のコラムでした。その後、自分なりに「こういうことなんだな」とイメージを具体化させて来たのです。

おそらく、演技に関わる人達の間では、「スター・タイプとアクター・タイプ」に近い概念が使われているけれど、キチンと定義づけされていない状況なのかもしれません。(間違っていたらご教示ください)

2、自分か他人か

前回もお話したように、スター・タイプは常に「自分自身」で、役を自分に「引き付ける」形で演技します。一方、アクター・タイプは「他人に」なり切ります。役の中に「入り込んで」自分と違う人物を創造しようとするのです。
これはタイプの違いで「上手いか下手か」とは少し違うのですが、演じる役の幅が広いのはアクター・タイプなので、いわゆる「演技派」と言われる人は、アクター・タイプが多いようです。
しかし、当然、上手いスター・タイプもいれば、下手なアクター・タイプもいます。


ガラスの仮面展ポスター / shibainu

分かりやすく言うと、マンガ「ガラスの仮面」における姫川亜弓はスター・タイプで、北島マヤはアクター・タイプです。

スター・タイプの役者とは、ルックスが圧倒的に美しかったり、逆に、圧倒的に個性的なキャラクターを持っていて「他の人になりにくい」タイプです。かつてのロバート・レッドフォードやトム・クルーズが典型的なスター・タイプですが、必ずしも美男美女とは限りません。

3、スターは二枚目とは限らない

例えば、1970年代以降のハリウッドを代表する名優の一人、ジャック・ニコルソンです。彼はハンサムとはとても言えませんが、一度見たら忘れられないルックをしています。そして、ジャック・ニコルソンは正にスター・タイプで、どんな映画に出ても常にジャック・ニコルソンそのものでした。


Jack Nicholson figure at Madame Tussauds Hollywood / Castles, Capes & Clones

スター・タイプには普段から強烈なオーラを発している人が多く、一方、アクター・タイプは普段は地味で目立たないのに、演技を始めるとガラッと変わって存在感を発揮する人が多いようです。

共演者やスタッフの証言によると、ジャック・ニコルソンは、登場するだけで皆を惹きつけ、当然のようにその場主役になってしまう強烈な魅力があったそうです。
一方、変幻自在に様々な役を演じ、これこそアクター・タイプというべき名優ロバート・デ・ニーロは、インタビューした記者が、素の彼は「これがあのロバート・デ・ニーロか?」と言いたくなるほど平凡でパッとしない雰囲気だ、と表現していました。


Robert De Niro as Al Capone / jon rubin

4、スターとアクターがバランスを作る

つまり、スター・タイプの俳優とは、ただ自分自身として止まって画面に映っているだけで、人を惹きつける何かを発散しているのです。一方、アクター・タイプは「動くこと」「アクトすること」で自分の魅力を創り出してゆくのです。

ですから、アクター・タイプは攻める、動きの演技が得意で、逆にスター・タイプは、受けの演技で魅力を発します。

映画やドラマの芝居は、誰かが動きの演技をしたら相手役が静の演技で受ける、という形でバランスが作られます。これを俳優のタイプで考えると、アクター・タイプが動いて状況を作り出して、スター・タイプがそれを受けとめると良いバランスの芝居になるのです。

ですから、映画やドラマのメインキャストにスター・タイプとアクター・タイプを組み合わせるのは大切なことで、これが両方スター・タイプだったり、両方アクター・タイプだったりすると、お互いの魅力を相殺してしまう可能性があるのですが、この点を気にしていないキャスティングが意外に多い気がします。

少し違いますが、漫才にボケとツッコミの組み合わせが必要みたいなものと考えて頂くと分かり易いかもしれません。ボケだけの漫才やツッコミだけの漫才では、面白くならないでしょう。

5、沈黙で輝くスター

映画やドラマの主役にはスターを配し、脇にアクター・タイプを置くことが多くなります。真のスターは受け止める演技で光を放つと言われています。最近亡くなった、高倉健も菅原文太もそうでしたね。


R.I.P. Ken Takakura 1931 – 2014 / t-miki

高倉健、吉永小百合、菅原文太といった、常に日本映画の主役を張って来たスターたちは、正にスター・タイプで、スクリーンの上でいつも彼ら自身でした。けれど、演技が下手だった訳ではありません。彼らは大袈裟な動きの演技よりも「沈黙」でこそ、より多くを語り魅力を発したのです。

例えば、高倉健なんて「いつでも寡黙な健さん」で、日本では「スターだけれど演技派ではない」と思われがちですが、ハリウッドでの評価は高かったのです。
「日本の俳優の演技は一般にオーバーだが、高倉健は目で演技する」と言われていました。外形の動きではなく、内面の集中で役になり切る、メソッド・アクターだと評価されていたのです。

6、アクターは変化する

アクター・タイプの演技は「変化の魅力」です。演技の出発点が「自分ではない誰かを演じる」ことにあると考えれば、アクター・タイプの演技は「お芝居の楽しさ」の本質を味あわせてくれます。

私が、典型的アクション・スターと思われているシルヴェスター・スタローンが、実はアクター・タイプではないかと感じたきっかけに、こんなエピソードがあります。

無名時代のスタローンは、ウディ・アレンの初期のコメディ映画「バナナ」に、地下鉄でウディ・アレンに絡むチンピラとして、ほんの端役で出演しているのですが、そのキャスティングについて、ウディ・アレンはこう回想しています。

(事務所の紹介でスタローンが来た時に)イメージが違ったんだ。それで彼に言った。悪いけれど、僕は「キケンな男」が欲しいんだ。君はキケンに見えないよ。すると、スタローンは訴えた「もう一度チャンスを下さい。キケンな男になって戻って来ますから」。そう言って部屋を出て5分後に戻って来たら、今度は凄くイイんだ!あれは忘れられない経験だった。

7、スターがアクターを受け止めた時、ドラマは輝く

もっとも、必ずしも、スター・タイプが主役でアクター・タイプが脇役とは限りません。

例えば、バリー・レヴィンソン監督のアカデミー作品賞を受賞した名作「レインマン」では、アクター・タイプのダスティン・ホフマンが主役で、自閉症の演技で状況を作り出し、典型的なスター・タイプであるトム・クルーズが脇役でそれを受けました。
アカデミー賞主演男優賞を受賞したダスティン・ホフマンの演技は素晴らしかったですが、それを受けるトム・クルーズの演技も自然な感じで、とても良かったのです。

むしろ、トム・クルーズが自然な演技で受けたからこそ、ダスティン・ホフマンの、いささかオーバーアクト気味の自閉症演技が光ったとも言えるのです。

スター・タイプとアクター・タイプはタイプの違いですから、どちらが上でどちらが下、というようなものではありません。 スター・タイプとアクター・タイプがぶつかり合うことで、芝居は豊かで魅力的なものになるのです。

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ディカプリオとスタローン、交差した光と影

1、「レヴェナント:蘇えりし者」と2016年アカデミー賞

今、米国西部開拓時代を生きた実在の猟師ヒュー・グラスの体験した過酷なサバイバルを描いて、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督が2年連続のアカデミー監督賞を受賞した「レヴェナント:蘇えりし者」が公開されています。
主演のレオナルド・ディカプリオは、5度目のノミネートにして、初のアカデミー主演男優賞を受賞しました。


Leonardo DiCaprio addresses the UN Climate Change Summit / john.gillespie
 

2016年の米国アカデミー賞は、「本来の自分」と「こうありたい自分」が乖離していた二人の俳優の光と影が、偶然にも交差したことが、とても印象的でした。
それは、レオナルド・ディカプリオが念願の主演男優賞の初受賞を果たしたこと。もう一つは、下馬評の高かったシルヴェスター・スタローンが残念ながら助演男優賞の受賞を逃したことです。


Sylvester Stallone / Gage Skidmore

この二人は、役者としては全く逆の、しかし本質的には同じ悩みを抱え、それに呪縛されていました。そして、レオナルド・ディカプリオは、遂に戦いに勝ち栄光を掴みましたが、シルヴェスター・スタローンは叶わなかったのです。

2、「スターになりたいアクター」と「アクターになりたいスター」

二人が呪縛されていた悩みとは何でしょうか?
レオナルド・ディカプリオは「アクターになりたいスター」であり、シルヴェスター・スタローンは「スターになりたいアクター」だったのです。つまり、二人は「本来の自分」と「こうありたい自分」の間に矛盾を抱えながら、俳優を続けて来たと思うのです。


Sylvester Stallone / Gage Skidmore
 
Django-Unchained-Leonardo-DiCaprio / 22860

俳優にはスター・タイプとアクター・タイプがいます。
スター・タイプは「常に自分自身で、役を自分に引き寄せて演じます」。
一方、アクター・タイプは「役の中に入り込み、自分とは違う人物像を作り上げます」
これはタイプの違いなので「上手い、下手」とは少し違います。上手いスター・タイプもいれば下手なアクター・タイプもいます。しかし、いわゆる「演技派」として評価される俳優はアクター・タイプが多いようです。

シルヴェスター・スタローンは、1976年の「ロッキー」で無名の俳優が一夜にしてスターとなるアメリカン・ドリームを実現し、80年代のハリウッドを代表するアクション・スターとなりました。ところが、彼は演技者としては全く評価されず、アカデミー賞の前夜にダメ映画やダメ役者を表彰するジョーク企画「ラジー賞(ゴールデンラズベリー賞)」の常連で、言ってみれば「大根役者の代名詞」でした。

しかし、私はずっと疑問に思っていました。「シルヴェスター・スタローンの本質は、スターというよりアクターではないのだろうか?」
かつての私は「スタローンの演技をどう見るか」を批評眼のリトマス試験紙にしていたところがあって、彼を大根役者と決めつける人を、余り信用していませんでした。

3、「ロッキー」と「ランボー」は別の人間

1980年代を代表するアクション・スターと言えば、やはりシルヴェスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーでしょう。
アーノルド・シュワルツェネッガーは典型的なスター・タイプで、いつどんな映画でもシュワルツェネッガーそのものでした。彼は、そのルックスの特異性もあって、シュワルツェネッガー以外の誰かにはなり得なかったのです。
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Sylvester Stallone & Arnold Schwarzenegger / Gage Skidmore

そして、シルヴェスター・スタローンも典型的な「アクション・スター」と思われています。しかし、私は彼の本質はアクターなのではないかと考えていました。なぜなら、スタローンの演じた代表的なキャラクターであるロッキーとランボーは、ハッキリと「別の人物」だからなのです。
「ロッキー」と「ランボー」、この二人のキャラクターの違いに注目して下さい。

「ロッキー」は、うだつの上がらない3流ボクサーが、ひょんなことから世界タイトルマッチに挑戦するチャンスを掴み人生最後の勝負に挑む話です。ロッキーは余り頭は良くありませんが気のいい男で、陽気なおしゃべりです。いつも、受けないジョークを連発して周りを辟易させています。


rocky balboa. feb. 24th 2015. 20h50 (19:50 gmt). d8 / alatelefr

一方、「ランボー」は、心に傷を負ったベトナム帰還兵のドラマです。戦いにしか自分を見出せず、戦場を求めて流離うランボーは、他人に心を開かない寡黙で暗い男です。


RAMBO / kidzior12

「ロッキー」と「ランボー」は全く違うキャラクターとして、画面の中で生きているのです。

4、ジョン・ウェインになりたかった男

シルヴェスター・スタローンは、子供の頃のケガの影響で右半身に軽い麻痺があるので、顔の表情と口の動きが鈍いせいもあって、演技を過小評価されて来ましたが、その本質は「役に入り込む」人でした。

その彼が「典型的なアクション・スター」と言われるようになったのは、実は彼自身がそれを望んだからなのです。シルヴェスター・スタローンは、80年代当時「自分はジョン・ウェインになりたいんだ」と明言していました。


John Wayne / classic film scans

ジョン・ウェインは西部劇を代表するスター、というより「アメリカの強い男のシンボル」でした。ジョン・ウェインは正にスターの中のスターで、どんな映画でもジョン・ウェイン以外にはなり得なかったし、ジョン・ウェイン以外である事を求められていない人でした。
スタローンはそんな「アメリカのシンボル」の地位を継ぐことを目指して「スターとしてのスタローン」を「演じていた」のです。

5、「スターとしての呪縛」を解いたスタローン

私は「ジョン・ウェインになろうとする」スタローンの、その姿に少し不満を覚えていました。彼は、例えば「ゴッドファーザー」のようなマフィア映画の脇役で殺し屋を演じたりすれば、実に味のある演技を見せてくれそうな才能があるのに、あえて同じような役を演じ続け、「アクターとしてのスタローン」を自ら封印していたからです。


rocky balboa. feb. 24th 2015. 20h50 (19:50 gmt). d8 / alatelefr

しかし、アクション・スターとしての全盛期が去り、しばらくの低迷期を経て原点に還った「ロッキー・ザ・ファイナル」で復活してからの彼は、肩の力が抜けたように演技を楽しむ余裕が出て来たように見えます。

そんな「スターとしての呪縛」から解き放たれたかに見えるスタローンには、今回のアカデミー賞で「初めて演技者として評価される」期待が高まっていましたが、残念ながら受賞はなりませんでした。

6、「生まれながらのスター」ディカプリオはアクターを目指す

一方、「ロッキー」の公開される2年前、1974年に生まれた「アイドルそのもの」といったルックスの持ち主であるレオナルド・ディカプリオには、「生まれながらのスター」といった雰囲気があります。彼は、まぎれもなくスター・タイプだと思うのですが、デビュー当時から演技力に自信を持っていた彼は「アクターになりたい人」だったのです。

「タイタニック」で世界と世代を代表する二枚目スターとなったレオナルド・ディカプリオは、彼の本来の「アイドルのような外見」に加え「タイタニック」で完成し世界中に定着してしまった「スター・ディカプリオ」のイメージから抜け出そうと、ずっと苦闘しているように見えました。

「アビエイター」でハワード・ヒューズの人生を演じたり、でっぷりと太って、悪名高いFBIの初代長官フーバーを演じたり、なんとか自分のイメージを壊そうともがき苦しんで来ました。私は彼の映画を面白がりながらも、「無理をしてるなぁ。もっと、スターとしての自分のイメージを素直に受け入れれば良いのに」と感じていました。

レオナルド・ディカプリオには、どんなに役作りのために汚れを被って自分のイメージを変えようとしても「スター・ディカプリオ」の輝きを消すことが出来ない、宿命のようなものがあります。その宿命から逃れようとする息苦しさが、これまで彼を演技派として評価することから遠ざけていたのではないでしょうか?

その長い彼の戦いが、今回のアカデミー賞受賞でようやく報われたのです。これで、彼は「アクターでありたい」という呪縛から解き放たれるのでしょうか?

7、交差した光と影

2016年の米国アカデミー賞の授賞式では、二人の俳優の光と影が交差しました。


Martin Scorsese y Leonardo DiCaprio / El Informador Digital
 

「生まれながらのスター」である自己を否定し「アクターとして」認められようともがいて来たレオナルド・ディカプリオと、「スターでありたい」という呪縛を自ら脱ぎ捨て、本来のアクターとして素直に演技を楽しみ始めたシルヴェスター・スタローン。

運命の女神はレオナルド・ディカプリオを選び、シルヴェスター・スタローンには微笑みませんでした。

しかし私は、老境に入って素直に自分を受け入れるスタローンの演技に開放感を感じる一方で、鉄のような意志で本来の自分を否定し続けるディカプリオの演技に息詰まるような閉塞感を覚えます。そして、アカデミー賞授賞式で晴れやかな笑顔を見せるレオナルド・ディカプリオと、それに静かに拍手を送るシルヴェスター・スタローンの姿を、複雑な思いで眺めていたのです。

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