スターがアクターを受け止めた時、ドラマは輝く


1、再説・スター・タイプとアクター・タイプ

前回、レオナルド・ディカプリオとシルヴェスター・スタローンについて述べた時に「俳優には、スター・タイプとアクター・タイプがいます」と書きましたが、これは必ずしも一般的な言葉ではなく、たぶん私の造語に近いものなので、少し説明しておきたいと思います。

造語といっても、私が考え出したというワケではなく、この概念の基本を教えられたのは小林信彦のコラムでした。その後、自分なりに「こういうことなんだな」とイメージを具体化させて来たのです。

おそらく、演技に関わる人達の間では、「スター・タイプとアクター・タイプ」に近い概念が使われているけれど、キチンと定義づけされていない状況なのかもしれません。(間違っていたらご教示ください)

2、自分か他人か

前回もお話したように、スター・タイプは常に「自分自身」で、役を自分に「引き付ける」形で演技します。一方、アクター・タイプは「他人に」なり切ります。役の中に「入り込んで」自分と違う人物を創造しようとするのです。
これはタイプの違いで「上手いか下手か」とは少し違うのですが、演じる役の幅が広いのはアクター・タイプなので、いわゆる「演技派」と言われる人は、アクター・タイプが多いようです。
しかし、当然、上手いスター・タイプもいれば、下手なアクター・タイプもいます。


ガラスの仮面展ポスター / shibainu

分かりやすく言うと、マンガ「ガラスの仮面」における姫川亜弓はスター・タイプで、北島マヤはアクター・タイプです。

スター・タイプの役者とは、ルックスが圧倒的に美しかったり、逆に、圧倒的に個性的なキャラクターを持っていて「他の人になりにくい」タイプです。かつてのロバート・レッドフォードやトム・クルーズが典型的なスター・タイプですが、必ずしも美男美女とは限りません。

3、スターは二枚目とは限らない

例えば、1970年代以降のハリウッドを代表する名優の一人、ジャック・ニコルソンです。彼はハンサムとはとても言えませんが、一度見たら忘れられないルックをしています。そして、ジャック・ニコルソンは正にスター・タイプで、どんな映画に出ても常にジャック・ニコルソンそのものでした。


Jack Nicholson figure at Madame Tussauds Hollywood / Castles, Capes & Clones

スター・タイプには普段から強烈なオーラを発している人が多く、一方、アクター・タイプは普段は地味で目立たないのに、演技を始めるとガラッと変わって存在感を発揮する人が多いようです。

共演者やスタッフの証言によると、ジャック・ニコルソンは、登場するだけで皆を惹きつけ、当然のようにその場主役になってしまう強烈な魅力があったそうです。
一方、変幻自在に様々な役を演じ、これこそアクター・タイプというべき名優ロバート・デ・ニーロは、インタビューした記者が、素の彼は「これがあのロバート・デ・ニーロか?」と言いたくなるほど平凡でパッとしない雰囲気だ、と表現していました。


Robert De Niro as Al Capone / jon rubin

4、スターとアクターがバランスを作る

つまり、スター・タイプの俳優とは、ただ自分自身として止まって画面に映っているだけで、人を惹きつける何かを発散しているのです。一方、アクター・タイプは「動くこと」「アクトすること」で自分の魅力を創り出してゆくのです。

ですから、アクター・タイプは攻める、動きの演技が得意で、逆にスター・タイプは、受けの演技で魅力を発します。

映画やドラマの芝居は、誰かが動きの演技をしたら相手役が静の演技で受ける、という形でバランスが作られます。これを俳優のタイプで考えると、アクター・タイプが動いて状況を作り出して、スター・タイプがそれを受けとめると良いバランスの芝居になるのです。

ですから、映画やドラマのメインキャストにスター・タイプとアクター・タイプを組み合わせるのは大切なことで、これが両方スター・タイプだったり、両方アクター・タイプだったりすると、お互いの魅力を相殺してしまう可能性があるのですが、この点を気にしていないキャスティングが意外に多い気がします。

少し違いますが、漫才にボケとツッコミの組み合わせが必要みたいなものと考えて頂くと分かり易いかもしれません。ボケだけの漫才やツッコミだけの漫才では、面白くならないでしょう。

5、沈黙で輝くスター

映画やドラマの主役にはスターを配し、脇にアクター・タイプを置くことが多くなります。真のスターは受け止める演技で光を放つと言われています。最近亡くなった、高倉健も菅原文太もそうでしたね。


R.I.P. Ken Takakura 1931 – 2014 / t-miki

高倉健、吉永小百合、菅原文太といった、常に日本映画の主役を張って来たスターたちは、正にスター・タイプで、スクリーンの上でいつも彼ら自身でした。けれど、演技が下手だった訳ではありません。彼らは大袈裟な動きの演技よりも「沈黙」でこそ、より多くを語り魅力を発したのです。

例えば、高倉健なんて「いつでも寡黙な健さん」で、日本では「スターだけれど演技派ではない」と思われがちですが、ハリウッドでの評価は高かったのです。
「日本の俳優の演技は一般にオーバーだが、高倉健は目で演技する」と言われていました。外形の動きではなく、内面の集中で役になり切る、メソッド・アクターだと評価されていたのです。

6、アクターは変化する

アクター・タイプの演技は「変化の魅力」です。演技の出発点が「自分ではない誰かを演じる」ことにあると考えれば、アクター・タイプの演技は「お芝居の楽しさ」の本質を味あわせてくれます。

私が、典型的アクション・スターと思われているシルヴェスター・スタローンが、実はアクター・タイプではないかと感じたきっかけに、こんなエピソードがあります。

無名時代のスタローンは、ウディ・アレンの初期のコメディ映画「バナナ」に、地下鉄でウディ・アレンに絡むチンピラとして、ほんの端役で出演しているのですが、そのキャスティングについて、ウディ・アレンはこう回想しています。

(事務所の紹介でスタローンが来た時に)イメージが違ったんだ。それで彼に言った。悪いけれど、僕は「キケンな男」が欲しいんだ。君はキケンに見えないよ。すると、スタローンは訴えた「もう一度チャンスを下さい。キケンな男になって戻って来ますから」。そう言って部屋を出て5分後に戻って来たら、今度は凄くイイんだ!あれは忘れられない経験だった。

7、スターがアクターを受け止めた時、ドラマは輝く

もっとも、必ずしも、スター・タイプが主役でアクター・タイプが脇役とは限りません。

例えば、バリー・レヴィンソン監督のアカデミー作品賞を受賞した名作「レインマン」では、アクター・タイプのダスティン・ホフマンが主役で、自閉症の演技で状況を作り出し、典型的なスター・タイプであるトム・クルーズが脇役でそれを受けました。
アカデミー賞主演男優賞を受賞したダスティン・ホフマンの演技は素晴らしかったですが、それを受けるトム・クルーズの演技も自然な感じで、とても良かったのです。

むしろ、トム・クルーズが自然な演技で受けたからこそ、ダスティン・ホフマンの、いささかオーバーアクト気味の自閉症演技が光ったとも言えるのです。

スター・タイプとアクター・タイプはタイプの違いですから、どちらが上でどちらが下、というようなものではありません。 スター・タイプとアクター・タイプがぶつかり合うことで、芝居は豊かで魅力的なものになるのです。

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