マイケル・チミノ、天国の門から地獄に堕ちた男 ①


1、「ディア・ハンターの監督」の死去

2016年7月2日、アメリカの映画監督マイケル・チミノが亡くなりました。私の世代の映画ファンにとっては大事件なのですが、日本での報道はそれ程でもなく「『ディア・ハンター』の監督」と紹介される程度でした。

しかし、マイケル・チミノ監督は、1978年の「ディア・ハンター」で一躍ハリウッドの頂点に登りつめながら次作「天国の門」で一転して地獄の底に突き落とされる、映画史上最大のRISE & FALLを演じた孤高の完全主義者であるという意味において、特筆されるべき人物だと思うのです。

 
IMG_4174 / Donald Windley

Vietnam / Padmanaba01

2、一夜にしてハリウッドのトップに

マイケル・チミノは、1970年代始めに脚本家としてデビューし、クリント・イーストウッド主演の「サンダーボルト」(1974)で監督となりましたが、まだ知られた存在ではありませんでした。
しかし、ロバート・デ・ニーロ主演の監督第2作「ディア・ハンター」で、ベトナム戦争に巻き込まれ青春を破壊されたロシア系移民の米国青年たちの姿を鮮烈に瑞々しく描き、全米の人々に強いショックと感動を与え、アカデミー賞の作品賞と監督賞を受賞します。

「ディア・ハンター」は、ベトナム戦争を扱った本格的大作としては初めて全米で大ヒットし高い評価を得た作品です。サイゴン陥落によるベトナム戦争終結が1975年。未だアメリカ人にとって生々しく苦い記憶だったベトナム戦争というテーマに真正面から挑んだ勇気は、高く評価されました。マイケル・チミノは、一夜にしてハリウッドで最も次作を期待される監督となったのです。

3、「完璧な西部」への挑戦

マイケル・チミノが次作に選んだのは、1892年に西部で起きた、WASPの牧場主たちが新たに入植してきた移民を牛泥棒の名目で大量殺害した「ジョンソン郡戦争」という「アメリカの暗部」に斬り込んだ「天国の門」(1980)でした。
この作品は公開前から「今度のマイケル・チミノの新作は凄いらしい」と話題になっていました。マイケル・チミノが開拓時代の西部を完全に再現するために際限なくこだわり、予算と期間が大幅に超過し大変なことになっている、というニュースが伝えられていたからです。
カメラには映らないような衣装や小道具の細部にまで忠実さを求め、ロケ地に立てた西部の街のセットを何度も造り直し、さらには蒸気機関車が登場するワン・シーンのために「鉄道を敷設」してしまった程です。

予算を超過しても、全く終わる気配のない撮影を危惧した映画スタジオの重役が、ロケ地に視察に向かったのですが、映画撮影現場に再現された「完璧な西部」を目の当たりにして、「スゴイ!チミノは天才だ!」と興奮して撮影を続行させたと伝えられています。
マイケル・チミノは「ディア・ハンター」で、当時の映画作家の中でも突出した評価を得ましたから、「天国の門」を作っている頃は自信に満ちていて、強烈なカリスマ性を発しながら周囲を巻き込んでいたのではないでしょうか。


Classic Tetons Shot / snowpeak
 
Mother Nature Gets the Blues, Grand Teton, WY 9-11 / inkknife_2000 (6.5 million views +)

4、「天国の門」から地獄の底へ

「天国の門」は大きな期待を持って全米公開を迎えました。
ところが、3時間半を超える上映時間全編にわたって、確かに見事な映像美の連続でしたが、各シーンが極端に長くドラマの語りはギクシャクしており「映画史上最大級の予算を費やしてこれなのか?」と、批評的にも興行的にも大失敗してしまいます。
その叩かれ方は、絶賛された「ディア・ハンター」の反動もあって、「何もそこまで」と言いたくなるほど徹底したものでした。
そして、「史上最大の赤字を生んだ作品」として、制作会社ユナイテッド・アーティスツを倒産に追い込む羽目になり、マイケル・チミノのキャリアを一度終わらせる結果となるのです。

しかし、CGのない時代に「全て実物で」開拓時代の西部を完璧に再現しようとしたマイケル・チミの狂気に近い完全主義は、一見の価値があります。

5、復活のドラゴン

たった一人の一作品で、老舗の映画スタジオを倒産させてしまったことで、マイケル・チミノの映画監督としてのキャリアは完全に断たれたと思われましたが、ミッキー・ロークがチャイニーズ・マフィアのコネクションを追う刑事を演じる「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(1985)で復活を遂げます。
当時、危険人物として映画界から完全に干されていたマイケル・チミノに、無謀にもこんな大作を任せたプロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスの蛮勇に敬意を表したいと思いますが、チミノも見事にそれに応えました。

「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」は、マイケル・チミノ復活作となると共に、チャイニーズ・マフィアの若きボスを演じたジョン・ローンにスターへの道を拓きました。はぐれもの刑事とチャーニーズ・マフィアとの抗争を描いた、刑事アクションに分類される作品ですが、マイケル・チミノの粘っこい描写がジャンル・ムービーの世界に厚みを与えていて、大好きな作品です。


Chinatown / Danny Nicholson
 
Chinatown / Jonas B

6、「映画作家」であることが呼んだ、栄光と挫折

「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の成功で、再びハリウッドの一線に復帰するかと思われたマイケル・チミノですが、やはり完全主義の体質からかトラブルも多く、その後も沢山の作品は残せず、徐々にフェイドアウトして行きました。
彼は「ディア・ハンター」を見る限り、余りリベラルな人ではなく、その辺もリベラル派が主流であるハリウッドでの再評価を妨げたのかもしれません。

それでも、マイケル・チミノの妥協を知らない、正に「映画作家」と呼ぶべきスタイルは、色褪せること無く、私たちの心の中に残り続けました。

しかし、マイケル・チミノの極端な栄光と挫折は、彼の映画作家としての「スタイルそのもの」から来ているのではないかと思うのです。

次回はそのお話をしたいと思います。

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