1、アラビアのロレンス
ピーター・オトゥールと言えば、何といっても「アラビアのロレンス」でしょう。
1962年に映画デビュー2年目にして「アラビアのロレンス」の主役に抜擢されると、その余りのはまり役ぶりに、ピーター・オトゥール=ロレンスというイメージが世界的に定着してしまいました。
同時代の「名作」の多くが、その歴史的意義は別にして、いささか色褪せ古びてしまっているのに対して、「アラビアのロレンス」は未だに、当時と変わらぬ輝きとインパクトを保ち続けている、稀有な作品の一つです。
そして、ピーター・オトゥールがロレンスを演じた事は、「アラビアのロレンス」がそこまでの「名作」となるのに、欠くことの出来ない要素でした。 革命家であると同時にロマンチストでもあるオトゥールのロレンスは、単なる映画の主役を超えてひとつのアイコンになっています。
たった1本の映画で、ここまで強烈に自己のイメージを確立させてしまった役者も、珍しいのではないでしょうか?
2、ロレンスの呪縛
しかし、これはピーター・オトゥールにとっては不幸でした。
彼は、生涯アラビアのロレンスのイメージに縛られ、そこから抜け出そうともがき、それが叶わぬまま老いていったからです。
ピーター・オトゥールは、1970年代に入ってアルコール依存症から大病を患い、一時期は医者も見放すほど死の淵を彷徨います。
その後、70年代後半に見事に復活を遂げたのですが、40代という役者にとって一番充実している筈の時期にアルコールに溺れて死にかけた事実は、ロレンスの呪縛と無関係ではなかったでしょう。
私は、子供の頃からピーター・オトゥールの大ファンでした。70年代にテレビでオトゥールを観てファンになったのですが、その頃のオトゥールがロレンスの影から抜け出せずに苦しんでいると知り、子供ながらに心を痛めていました。
そして少年の私は、彼がシャーロック・ホームズを演じさえすれば、ロレンスを超えるはまり役となり、ロレンスのイメージから完全に脱却できるはずだ、と思い込んでいたのです。
3、ビリー・ワイルダーの「シャーロック・ホームズの冒険」
シャーロック・ホームズの映画の中で最も有名で成功した作品の一つは、1970年に公開された、名匠ビリー・ワイルダー監督による「シャーロック・ホームズの冒険」でしょう。
原作にないストーリーを、ワイルダーが脚本家IAL・ダイアモンドと共に書き下ろしたオリジナル・シナリオです。
ネス湖の怪物まで出て来る一見奇想天外なストーリーですが、知的ツイストといいウィットといい、ミステリの楽しさに満ちた見事な作品です。
未だ観ていない方には是非ともおススメなのですが、「ホームズはピーター・オトゥールに限る!」と勝手に決めていた少年時代の私は、ホームズを演じた役者に不満で、せっかく良くできた映画なのに、素直に楽しめませんでした。
シャーロック・ホームズ役を演じたのはロバート・スティーブンスで、良い役者なのですが、子供の私は生意気にも「キレがないんだよな、キレが」「こんなホームズ選ぶなんて、ワイルダーも分かってねえな」などと毒づいていたのでした。
4、幻のピーター・オトゥール版ホームズ
ところが後に私は、映画評論家石上三登志の「地球のための紳士録」というエッセイ集を読んで、この作品におけるビリー・ワイルダーの当初のキャスティング案が「シャーロック・ホームズ=ピーター・オトゥール、ワトソン博士=ピーター・セラーズ」であったことを知ったのです!
この事実を知った時の衝撃は、未だに忘れられません。
実際には、予算の関係でスターが使えなかったらしいのですが、あの映画のホームズをピーター・オトゥールが、ワトソンをピーター・セラーズが演じていたとしたら…。
いつのまにか世界最高のホームズ映画が生まれかけ、そして夢に消えていたのです。
ピーター・オトゥールのホームズはもちろん、ピーター・セラーズのワトソンって最高のキャスティングではないでしょうか?
ピーター・セラーズは「ピンクパンサー・シリーズ」等で有名なコメディ俳優です。
自分が主演する時は思いっきりハチャメチャな怪演ですが、脇役に回ると抑えた渋い、それでいて不思議なユーモアを見せてくれるので、少しエキセントリックなオトゥールが演じるホームズの相手役、ワトソン博士にもピッタリなのです。
(最近WOWWOWで「博士の異常な愛情」を放映していて、久しぶりに観直したのですが、主演で一人三役のピーター・セラーズの演技には改めて爆笑しました。正に狂気!こんなワトソン博士だったら大変ですね(^o^))
5、呪縛からの解放
私は、もしビリー・ワイルダー監督によるピーター・オトゥール版「シャーロック・ホームズの冒険」が実現していたら、彼のその後の俳優人生はどうなっていただろう?と思いを馳せてしまいます。
間違いなくホームズはロレンスを超えるはまり役となったでしょう。
それによって、ピーター・オトゥールは「『アラビアのロレンスの』だけのオトゥール」ではなくなった筈です。
そして、アラビアのロレンスもシャーロック・ホームズも、「俳優ピーター・オトゥールが演じる役の一つ」として見て貰えるようになり、彼を苦しめていた「ロレンスの呪縛」から解き放たれたのではないか?と夢想してしまうのです。
ピーター・オトゥールといえば、アラビアのロレンス、、と私達の同世代は思うでしょうが、、実の所、二度トライしたものの、二度とも最初の40分くらいが詰まらなく(私にとっては、アラブについて知識不足、興味不足もあり、、)最後まで観た事が無く、ほんの最近まで、自称、映画好きの私はピーター・オトゥールの映画は観たことが無かったのです。たまたま、トロイと言う映画で、どこか観たことがある俳優(ピーター・オトゥール)を見つけて、いい俳優だと思ったのです。しかし、トロイでは既に彼の美貌は完璧に後を潜め、配役を見て気付いた位です。女優ではオードリーヘップバーンのファンだったのですが、厚化粧が許せなく、中期以降の彼女の映画は拒否気味でした。思い切って、最近、おしゃれ泥棒を見たら、ピーター・オトゥールにはまった。今は奴隷のように、チップス先生さようなら を何回も見て居ます。ピーター・オトゥールは病気からの復活後も色々、出て居ますが、やはり、ロレンスの(見終わっては居ないけど、、)強烈な美しいブルーの目、おしゃれ泥棒の、ダンディでコミカルな彼を見た後は、とても後期の映画は観るに耐えないのが正直な感想です。チップス先生では、当時36歳と言う若さで、20代位から70-80代位のチップス先生を演じ、見るたびに、うまい役者だと感じるようになりました。日本でも森光子さんが放浪記で一人の人物を上手に演じきった例はありますが、、、兎に角、ピーター・オトゥールのチップス先生は、哀愁、愛情あり、コミカルでもあり、本当に、愛すべき映画です。病気のせいもあり、老年に入っても太る事も無く、はげる事もなかったけど、あの若い時の美しさは愛おし過ぎて、、本当、ピーター・オトゥールの美しさは最高です。
アラビアのロレンスは学校の映画授業で見た記憶があるのですが内容は殆んど覚えていません。
多分複雑な政治的背景などが殆んど理解できてなかったからだと思います。
今なら深く内容にも入っていけそうですから是非全編を見てみたいです。
痩躯の長身ブロンドと青い目が印象に残っています。
この記事を読んで直ぐに重ねたのはシェーンを演じたアランラッドのその後です。
それまではB級俳優と言われながらも端正な顔立ちと顔に似合わぬ低く魅力的な声質で結構色んな映画に出ていたようですが、40歳の時のシェーン役が見事なはまり役で一躍有名になりましたが、代表作と言えるものはこれ一本だけで以後の作品はまたB級俳優に戻ったような精彩を欠きハンサムでもなくなり顔も太りまるでシェーン役で演じた生き生きとした雰囲気が煙のように消えていることに衝撃を受けました。
アランラッドもシェーンの呪縛に苦しんだのでしょう。
僅か50歳の若さで亡くなったのですが晩年はアルコールに溺れピストルで自殺しかけたりして結局はアルコールとドラッグの濫用で亡くなっているのを発見された痛ましすぎる亡くなりかたをしたそうです。
ピーターオトウールはまだ著名な作品にロレンスの後も出ていますがアランラッドは役に恵まれませんでしたからストレスも溜まっていったのかもしれません。
一世を風靡したような名優でも現役でなくなったら殆んどは忘れられていくのにシェーンは未だに永遠の不朽の名作として輝きを失っていませんから役者としては幸せだと思うのですがそれは後に語られることで当時のアランラッドの憔悴と失意を救うことにはならなかったのだと思います。
ジョージスティーブンス監督が撮った西部劇はこのシェーンだけだったそうで、ガンの撃ち方や音響効果にも拘りそれまでの西部劇とは違う斬新な映画を撮りたいと思ったとのことで、その象徴が主役のシェーンにアランラッドを抜擢したことかもしれません。
それほどアランラッドはそれまでの屈強なガンマンとは真逆の個性なのです。
なで肩で細身の華奢とも言える体型でむさ苦しい男たちの中で際立って知的で物静かなどこか洗練された雰囲気がいつの間にかシェーンそのものを演じ切っていました。
身長が168センチと小柄なことに強いコンプレックスを持っていたらしいですが、言われなければ全く気付かないくらい乱闘シーンや殺し屋との決闘場面も決して見劣りすることなく堂々と演じていました。
サラサラの金髪で殆んどのシーンでカウボーイ衣装ではなく普通の青いデニムの作業衣姿で彼一人まるで現代からタイムスリップしてその時代にいるような感じでした。
アランラッドだったからこそ、ジョーイ少年に請われてスリムな立ち姿のまま目にも止まらぬ早業で遠くの石を吹き飛ばして見せたシーンも、秘かに思いを寄せ合うジョーイのお母さんを優しくエスコートして優雅にダンスを踊るシーンも引き立ったのだと思います。
フラリと立ち寄ったジョーイ少年との出会いや最後に決闘の後引き留めるジョーイ少年に向かって優しく語り掛けるシーンもアランラッドにしか醸し出せない魅力がありました。
他のどの名優でもシェーンがこれ程の名作にはならなかったでしょう。
それくらいはまり役でした。
その後の彼の人生を思うとシェーンの演技が胸を刺します。
ジョーイ少年もシェーンに寄せる徐々に強まっていく憧れと尊敬の念を見事に名前の呼び方にも表した名演技だったのですが彼も僅か30歳の若さで交通事故で亡くなっています。
1953年の映画ですから出演した俳優の全てが既に世を去っていると思うと余計に胸に迫ります。
私が一番感動したのは馬で去っていくシェーンに声を限りに想いを呼び掛けるのですが、ジョーイ自身の気持ちは言わず、パパはシェーンに一緒に手伝ってもらいたいと言ってるよと叫び、その次にママもシェーンが大好きなんだよ、僕は知ってたんだよ、と叫びそれが最後の呼び掛けでその後にシェーンカムバック!で終わるのです。
Mother wants you, I know she does!
i know が哀切です。
ワイオミングの山並みに消えて行くのですが、今でもシェーンが遥かなる山の呼び声に誘われて山のどこかをさすらっているかも知れないと思わせる深い余韻が残りました。
最近偶然YouTubeの動画を見て改めて感動し、もう一度、そして何度でも深く味わってみたいナンバーワンの映画になりました。