1、世界一有名な名探偵
世界で最も有名な名探偵といえば、なんと言ってもシャーロック・ホームズでしょう。
ミステリ好きになる人は、少年少女時代に「シャーロック・ホームズ体験」を持っています。
子供がミステリという分野に興味を持ち始めると、通過儀礼のように「ミステリの基本中の基本」としてシャーロック・ホームズに出会います。
そして、ミステリ好きの子供達は、みんなホームズとワトソンの名コンビを通じて名探偵とミステリの面白さに目覚め、そこから少しずつ自分の好みのミステリを発見して行くのです。
世界で最も有名な名探偵であるシャーロック・ホームズは、未だに新作が作られるほど何度も映像化され、様々な俳優がホームズを演じて来ました。
ですから、たいていのミステリ好きには、「自分にとってのホームズ」とでも言うべき役者がいるのです。
2、ホームズ役者の元祖、ベイジル・ラスボーン
シャーロック・ホームズを演じて有名な人と言えば、1930年代から40年代にかけて多くのホームズ映画に主演して、アメリカでは今でも「最高のホームズ役者」と言われるベイジル・ラスボーンがいます。
世界中で誰でも知っているくらい有名な、ホームズの名セリフに「初歩的なことだよ、ワトソン君。(Elementary, my dear Watson.)」というのがあります。
最近も、このセリフをタイトルにした「エレメンタリー、ホームズ&ワトソンinNY.(Elementary)」という米国製のホームズ・ドラマが作られている程です。
ところが、このセリフはコナン・ドイルの原作小説には出てこないのです。
ベイジル・ラスボーンが映画の中でこのセリフを何度も使ったために、いつの間にか世界中でホームズの代名詞になってしまったのです。
実は、ラスボーンが主演したホームズ映画の公開時期がちょうど第二次世界大戦中だったために、日本では1本も劇場公開されませんでした。
にもかかわらず、日本人でも普通に「初歩的なことだよ、ワトソン君」をホームズの名セリフとして知っているのですから、ラスボーンの影響力がいかに大きかったか判るでしょう。
3、自分にとってのホームズ
多くの場合、子供の頃に初めて見たホームズ役者が「自分にとってのホームズ役者」になります。やはり第一印象の強さは、なかなか消せないものです。
近年、シャーロック・ホームズ役者としてイメージが強いのは、やはりジェレミー・ブレッドでしょう。
1980年代から90年代にかけて、コナン・ドイルの原典に忠実な形で完全ドラマ化したグラナダTV版の「シャーロック・ホームズの冒険」でホームズに出会った世代の人達にとっては、「ジェレミー・ブレッドこそホームズ」なのだと思います。
そして、これからホームズに出会う子供たちにとっては、一番新しい、現代のロンドンに見事にホームズを甦らせた「ベネディクト・カンバーバッチこそがシャーロック・ホームズ」となるはずです。
私は、その他にも、ロバート・スティーブンス、クリストファー・プラマー、ロバート・ダウニーJr、そして本場英国のシャーロッキアンの協会が正統なホームズ役者として認めたピーター・カッシングなど、本当にたくさんの役者がホームズを演じたのを観てきました。
しかし、これらの人達の中に、「私にとってのホームズ役者」はいませんでした。
何故なら、私もやはり少年時代に「最高のホームズ役者」に出会っていたからです。
その役者とは、ピーター・オトゥールです。
4、ピーター・オトゥールこそホームズ
ピーター・オトゥールは、2013年12月14日に亡くなった、イギリスの名優です。
ピーター・オトゥールと言えば、一般的には「アラビアのロレンス」でしょうが、私にとっては、彼こそ「私にとってのシャーロック・ホームズ」なのです。
もっとも、ピーター・オトゥールは、一度もシャーロック・ホームズを演じた事はありません。
しかし、私にとっては、間違いなく彼こそ最高のシャーロック・ホームズ役者であり、未だ観ぬピーター・オトゥール主演のホームズ映画こそ彼の幻の代表作なのです。
5、ピーター・オトゥールとの出会い
私が、初めてピーター・オトゥールを見たのは、小学生の時にテレビ放映された「おしゃれ泥棒」でした。
「おしゃれ泥棒」はオードリー・ヘプバーン主演のロマンティック・コメディです。大物の贋作家の娘であるヘプバーンが、美術館に飾られている父親が作った贋作が科学鑑定にかけられることを知り、父親を探っている美術探偵のオトゥールと一緒に美術館から贋作を盗み出そうとするドタバタを、正におしゃれに描いた楽しい作品です。
監督は「ローマの休日」の巨匠ウィリアム・ワイラーで、再びオードリー・ヘプバーンを主演にロマンティック・コメディに挑んだわけです。(挑んだ、なんて力の入った感じではなく、軽く作っていますが・・・)
しかし、小学生だった私は、オードリーはどうでもよくって、美術探偵(しかしてその実態は・・・)をキザでクールに演じたピーター・オトゥールの方に目が釘づけになってしまいました。
当時の私は、ちょうどコナン・ドイルのシャーロック・ホームズを読み始めた頃で、当然のことながらホームズに夢中になっていました。そして、「おしゃれ泥棒」を放映しているテレビ画面の中に、私は「現実化し肉体化した」ホームズを見つけたのです。
6、ホームズ発見
私のイメージするホームズは、キザで知的なヒーローであると同時に、神経質で狂的な面を持った近寄りがたい人物でした。
そして、ピーター・オトゥールのホームズをイメージしてみると正に完璧なのです。
「おしゃれ泥棒」のオトゥールに鹿打帽をかぶせてパイプを持たせたら、そのままホームズになってしまいます。
「ここに、シャーロック・ホームズがいる!」
私は「おしゃれ泥棒」を観てから、コナン・ドイルのホームズを読んでもピーター・オトゥール以外の外見をイメージすることが出来なくなってしまいました。
そして、「いつかピーター・オトゥールにホームズを演じて欲しい」と想い続けて来たのです。
7、ピーター・オトゥールのまだ観ぬ代表作
ですから、私にとっては、ピーター・オトゥールの代表作と言えば「アラビアのロレンス」ではなく「おしゃれ泥棒」でした。というより、「おしゃれ泥棒」の向こうに見える、まだ観ぬシャーロック・ホームズ映画こそ代表作だったのです。
しかし。ピーター・オトゥールは、シャーロック・ホームズを演じることなく81歳の生涯を終えました。
私がピーター・オトゥールの訃報を聞いたときに、最初に感じたのは「ついに、私にとっての理想のホームズを観ることは叶わなかった」という寂しさでした。