ロングパスはサッカーの背負い投げ


1、本場イングランドのサッカーは力技

サッカーの中継を見ていると「パワープレイ」という言葉を聞くことがありますね。
試合がロスタイムに入った頃に、解説者が「お、パワープレイに入りましたね」と呟いたりします。
パワープレイとは、試合終盤に劣勢となったチームが最後の手段として、身体の大きな選手を前線に張り付かせて、後ろからその選手めがけてロング・ボールを放り込み、何とか点を取ろうとする、まさに力技です。

現代の組織的なサッカーでは、「パワープレイ」は「後がなくなった時の、破れかぶれの戦法」みたいで、あまり良いイメージではありません。

しかし、このパワープレイこそが、サッカーの本場イングランドの伝統的なサッカー・スタイルなのです。

現代のサッカーのプレースタイルには、大きく二つの流れがあります。

それは、イングランドの伝統を受け継ぐスタイルと、イタリアやスペイン、ポルトガルなどの南欧の伝統を受け継ぐスタイルです。

2、サッカーの元祖、イングランド流サッカー

近代サッカーが確立したのは、19世紀イングランドのパブリックスクールでした。

イングランドのサッカーは学校のクラブ・スポーツとして、芝を張ったグラウンドでプレーされました。今のサッカー場と違ってもう少し深い芝ですから、ボールはあまり転がりません。
そこで、高くて長いパスの交換やプレースキックが基本になりました。また、芝がクッションになるので、多少ハードな肉体的接触も大丈夫でした。

その結果、イングランドのサッカーは、後方からロングパスを放り込み、ゴール前でフォワードとディフェンスが肉弾戦をしてゴールに蹴り込む。ファールになったら、フリーキックをする。という、パワープレイ的なサッカーになったのです。


50/50 / Matthew Wilkinson
 
IMG_0660b / Ronnie Macdonald

3、南欧流サッカーはパス・サッカー

イタリア、スペイン、ポルトガルなどの南欧のサッカーは、イングランドから伝わった近代サッカーとイタリアで古くから行われていたカルチョという球遊びが、結び付いて発展しました。

南欧での初期のサッカーは、港町の波止場や街中の広場で行われていました。
街中ですから場所は比較的狭く、石畳ですからボールは転がりやすい状態です。

そこで、細かく早いパスの交換が基本になりました。また、下は石ですから転んだら怪我をしてしまいます。
そこで、厳しい肉体的な接触は避けられ、相手をかわすためのフェイントやドリブルといった技術が発達しました。
その結果、南欧のサッカーは、テクニックを重視したパス・サッカーとなったのです。

4、サッカー、世界に広がる

サッカーは帝国主義と共に、19世紀後半にヨーロッパから全世界に広がっていきます。
そして、それぞれの国には、その宗主国のサッカー・スタイルが、そのまま移植されることになりました。

欧州と並んでサッカーの盛んな南米には、スペインやポルトガルからサッカーが伝わりましたから、ブラジルなどの南米のサッカーは南欧流のパス・サッカーになったのです。

一方、イギリスの植民地にはイングランド流のサッカーが伝わりました。
オーストラリアなどは、今でもイングランド流の伝統を残したサッカーをしています。

世界の国に伝えられたイングランド流や南欧流のサッカーは、それぞれの国の文化や風土の影響を受けながら、独自のサッカーを形作っていきます。


Ellis Park panorama / olmed0
 
IMG_6203 / wjarrettc

5、「現代サッカー」が選んだスタイル

1930年からサッカーのワールドカップが始まります。初期の大会では、参加国は本当にそれぞれ独自のスタイルのサッカーで、ぶつかり合っていました。

ところが、参加国が増えて国際交流が盛んになるにつれて、各国のサッカーは次第に同じような「現代サッカー」という一つのスタイルになっていきます。

それでは、「現代サッカー」は、イングランド流と南欧流の、どちらのサッカーに近いのでしょう?

そう、みなさんお分かりの通り、南欧流のサッカーなのです。

現代の組織的なサッカーは、南欧流のパス・サッカーが基本となっています。
サッカーの元祖である筈のイングランド流サッカーは、いつの間にか時代遅れで少数派になってしまったのです。

6、イングランド・スタイルは日本柔道

今のイングランド代表は、もちろん現代的なパス・サッカーをやっています。
しかし、イングランド代表が南欧流のパス・サッカーを取り入れたのはかなり遅く、1980年代が終わった頃でした。
それまでずっと、伝統的なイングランド流にこだわって来ましたが、それでは勝てないことがはっきりしたからです。

それでもイギリスの人達は、内心では「イングランド流こそ本物のサッカー」だと思っているのです。

柔道に置き換えてみれば、分かりやすいと思います。

日本の柔道は、今や世界中に広がり「世界のジュードー」になりました。
そして、日本の伝統的な柔道は、レスリングの影響を受けた「世界のジュードー」のなかで、少数派の時代遅れになりつつあると言われています。

しかし、私たちはやっぱり、投げ技を中心とした日本流の柔道が好きです。
特に、背負い投げのような大技で豪快な一本が決まると「これが柔道だよ!」と爽快感を覚えます。

そして、イギリス人にとってのサッカーも同じなのです。


Franz Beckenbauer & David Beckham / adifansnet
 
International friendly match / tpower1978

7、ロングパスはサッカーの背負い投げ

イギリス人は、見事なコンビネーションのパスワークで敵を幻惑するよりも、後方から一発のロングパスが、きれいに通った時に快哉を叫ぶのです。

華麗なドリブルでディフェンスをかわす姿を見た時よりも、豪快なフリーキックが決まった時に「これがサッカーだ!」と興奮するのです。

これで、ロングパスとフリーキックの名手だったデイヴィッド・ベッカムがイギリスのスーパースターだった理由がわかります。

彼は、柔道で言えば、古賀選手や野村選手のような「背負い投げの名人」なのです。

イギリス人が本当に好きな、伝統的なイングランド流サッカーの名手だからこそ、国民的なスターだったのです。

8、シンプル・イズ・ベスト

「どちらかと言えば少し古いタイプ」といわれた中村俊輔がイギリスで大きな成功を収めたのも、彼の優れたパスとフリーキックの能力が、イギリスのスタイルに上手くフィットし、そしてイギリスのサッカーファンから愛されたからなのです。

ベッカムの全盛時のプレーを見ると、非常にシンプルです。

私は、ベッカムの美しいロングパスが好きでしたが、日本のサッカーファンには、ベッカムのプレーの評判はあまり良くありませんでした。

「ベッカムって、いつもロングパスを出すかクロスを上げるか、だけでしょう。コンビネーションプレイもドリブルも無いし。確かにフリーキックは凄いけど、単調でつまらないよ」

しかし、ロンドンのパブでこの意見を披露したら、ビールのグラスを持った男性に肩を叩かれ、こう言われるかもしれません。

「坊や、わかってないな。それこそ、サッカーなんだよ!」

それでは最後に、「背負い投げの名手」デイヴィッド・ベッカムのプレーをお楽しみください。

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