1、「ゾンビ」との出会い
1979年3月、ジョージ・ロメロ監督の「ゾンビ」(原題:Dawn of the Dead)という映画が日本で公開されました。マスコミの扱いは、春休み向けB級ホラーのひとつ、といったバカにした感じでした。
「ゾンビ」は、未だに映画やTVドラマ、ゲームなどで新作が作られ続けているゾンビ物エンタテインメントの、すべての原点と言える作品です。
今では名作扱いされていますが、公開当時はこの作品の本質がホラーというより人類の終末を描いたSFである事が理解されず、批評家たちにゲテモノとして黙殺されました。
しかし、多くの少年たちが映画館の片隅で「これは今までのホラー映画とは違う何か新しい世界だ!」と興奮していました。
そして映画「ゾンビ」は、明らかにリチャード・マシスンの小説「地球最後の男(アイ・アム・レジェンド)」がなければ生まれなかった作品でした。
2、「アイ・アム・レジェンド」
マシスンの死亡を伝えるニュースで、リチャード・マシスンが「映画『アイ・アム・レジェンド』の原作者」と紹介されていたのは、少し複雑な心境でした。
「アイ・アム・レジェンド」(2007年)はマシスンの代表作のひとつ「地球最後の男(アイ・アム・レジェンド)」をウィル・スミス主演で映画化した作品です。しかし、これが、原作の精神を完全に裏切ったちょっと困った映画だったのです…。
小説「地球最後の男」は、吸血鬼に支配された地球で最後の人類となった主人公が、生き延びるために孤独に吸血鬼狩りを続けるのですが、この設定は東西冷戦期におけるアメリカ人の共産主義に対する不安のメタファーになっています。
そして、ラストには「いまや地球では吸血鬼たちこそが新しい人類であり、彼らを殺し続ける自分の方が怪物になってしまったのだ」と、気づかされてしまう衝撃の展開となります。
当然のように信じていた正義や正当性がいつの間にか逆転して、自分が「少数派の悪」になったことを気づかされるのです。
ここで、原題「アイ・アム・レジェンド(私は伝説)」の意味が皮肉に浮かび上がってきます。
ホラーのアイテムを使って、まさにSFの神髄である価値観の相対化を鮮やかに実現させた、奇跡のような作品でした。
3、映画化の難しさ
ところが、映画「アイ・アム・レジェンド」では、ウィル・スミス演じる主人公がラストで人類を救う正義の「伝説のヒーロー」になってしまうのです!
「私は伝説」の意味が逆転してしまっています。
ハリウッドはどうしてもラストをハッピーエンドにしたがる悪癖がありますが、この作品をハッピーエンドにしてしまうと、作品の持つ本質的な意味が失われてしまうのです。
映画の中盤までは原作のムードを生かして良くできていただけに、困ってしまいました。
もっとも、「地球最後の男」の映画化は一度も成功していないと思います。
というのも、ラストで主人公が自身の存在の意味についてコペルニクス的転回をする部分は主人公の内省(心の中の動き)なので、客観的に描写しなければならない映画には向いていません。
そして、このラストの逆転がないと、ただの吸血鬼ホラーになってしまいますので、そもそも映画化に向いていない作品だといえます。
しかし、それでも「地球最後の男」が何度も映画化にチャレンジされるのはなぜでしょう。
終末思想 / nappa
world’s end / shoothead
4、ホラーとSFのクロスオーバー
映画化には失敗している「地球最後の男(アイ・アム・レジェンド)」ですが、この小説はその後の多くのモダンホラーの原点になりました。
なぜなら、「地球最後の男(アイ・アム・レジェンド)」はホラーとアクションと終末SFを合体させた、初めての作品でもあるからなのです。
人類滅亡をテーマにした終末SFはそれまでもありましたが、天変地異や核戦争による滅亡を、悲劇的で静かなムードに描いた作品がほとんどでした。
ところが、「地球最後の男」における人類滅亡の原因は「吸血鬼」であり、主人公は絶望的な状況の中で、生存のために吸血鬼との戦いを繰り広げます。
終末SFは生真面目で辛気臭い作品が多かったので、この作品のホラーとSFとアクションがクロスオーバーしたような世界観は非常に魅力的で、直接の映画化以外にも、数多くの作品に影響を与えていきます。
特にゲームの世界に与えた影響は、絶大なものがあります。
5、モダン・ホラーの夜明け
そして、その世界観のリアルな映像化に、最初に成功したのがジョージ・ロメロ監督の「ゾンビ」(原題:Dawn of the Dead)なのです。
「ゾンビ」は文字通りゾンビに支配された世界で、生き残った主人公たちのサバイバルが描かれますが、サバイバルの先に全く救いが見えない終末観が「地球最後の男(アイ・アム・レジェンド)」を思わせます。
そして、ゾンビとの血みどろの戦いの末に、ゾンビ達の群れが個性と主張を失った現代の大衆と二重写しになってきます。これは、現代社会における私たちのサバイバルそのものなのです。
少年時代に「ゾンビ」と出会って衝撃を受け、「スーパー8」や「桐島、部活やめるってよ」の登場人物のように自主制作ゾンビ映画を撮っていた少年たちが、大人になり、クリエイターとなる時代となって、「ゾンビ」の影響は花開きました。
映画・小説・ゲーム・コミック等すべてのメディアにおいて、まさにゾンビのようにフォロワーを産み出し増殖して、モダンホラーというジャンルをエンタテインメントのメインストリームに押し上げたのです。
映画「ゾンビ」こそ、正にモダンホラーの夜明けであり、その夜明けをもたらした光が、マシスンの「地球最後の男(アイアムレジェンド)」だったのです。