1、「タイタニック」の元ネタ?
その時私は、ジェームズ・キャメロンの超大ヒット作「タイタニック」を映画館で観ながら「あれ?この感じは以前に観たことがあるぞ?」と、泣いていることが隣の女子高生3人組にバレないように願いながら、考えていました。
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「タイタニック」のオープニングは、現代で老女となったヒロインの回想から始まります。そして、ラストでは死に逝く二人が幻想の中で結ばれつつ終わります。ラストシーンでは、ディカプリオ演じるヒーローが天国の門で、手を差し出してヒロインを迎えます。
「タイタニック」みたいに船が沈んだりはしないので、内容的には直接関係ないのですが、この導入部とラストがそっくりな映画が存在します。
その映画は「ある日どこかで」という、全くヒットしなかった映画でした。
2、ある日どこかで
映画「ある日どこかで」(原題:Somewhere In Time)は、 監督ヤノット・シュワルツ、主演はクリストファー・リーブとジェーン・シーモア、そして原作・脚本はモダンホラーの元祖リチャード・マシスンで、1980年に公開されました。
ストーリーは劇作家志望の処女作の上演パーティーから始まります。主人公の青年はパーティーで見知らぬ老女に「帰ってきて」と呼びかけられます。数年後、作家となった主人公は昔の面影を残すグランド・ホテルを訪れて、ロビーに飾ってある20世紀初期の古い女優の写真に恋をします。
そして女優の年老いた姿こそ、あの日の老女だと知った主人公は、その女優に会うためにタイム・トラベルを決意するのです。
主演のクリストファー・リーブは「スーパーマン」の次に殺到するオファーを振り切って、この作品に出演しました。
ヒロインを演じたジェーン・シーモアは元ボンド・ガールというだけで、その後はパッとしていませんでしたが、この作品から徐々に女優として評価されていきます。
のちにTVドラマ「ドクタークイン」で西部開拓時代の女医を演じて、アメリカでも国民的なスターになりました。
オールドファッションでありながら、現代的な性格のドクタークインのキャラクターは「ある日どこかで」のヒロインの延長線上にあるといえます。
しかし、今でこそ彼らのキャリアにとって重要な作品と考えられていますが、当時は二人ともこの映画に出演したことを後悔していたのではないでしょうか?
3、興行的大失敗
実はこの作品、公開当時はアメリカでも日本でも大失敗でした。
批評は酷評、映画館はがらがら、日本での上映も一週間で終わってしまいました。
理由はあまりにも時代とずれていたからです。
当時は、スターウォーズやスーパーマンがすでに公開され、ハリウッドが徐々にエンタテインメントへの回帰を始めてはいましたが、まだまだニューシネマの香りが残っている時代でした。
恋愛映画も、あくまでもシリアスで苦いドラマが主流で、真面目な聾唖学校の女教師が、夜は別人のような男漁りをして破滅する「ミスターグッドバーを探して」や、夫の浮気から離婚してシングルマザーとなってしまった主婦が、女性としての自立に目覚めてゆく「結婚しない女」などが大ヒットしていました。
(ちなみに、両方とも非常に優れた映画です)
そんな時代に公開された、時を超えた純愛を描く「ある日どこかで」は、あまりにも陳腐で古臭いと思われたのです。
4、カルトムービーへ
しかし、スタッフの狙いは、あえて古臭いラヴロマンスをファンタジーの形を採って復活させることにあったのです。
実際、これだけ(良くも悪くも)純度の高いラヴロマンスも珍しいでしょう。
2日間で終わる主役2人のロマンス以外の要素は、いっさい存在しません。2人がなぜ惹かれあったのかについてもほとんど描かれず「運命としか言いようがない」といった感じの描きかたです。
しかし、徹底して余分な要素を排除した結果、ラヴストーリーとしての完成度は高くなっていて、脚本・演出・音楽・映像そして演技、全てにおいて今観てもほぼ完璧な出来です。
特に印象派のようなタッチで捉えられた20世紀初頭のグランド・ホテルの景観やジョン・バリーの音楽は素晴らしい美しさです。
そして、この映画は公開後に口コミで徐々に人気を高め、今でも熱心なファンサイトが運営されるほどカルト的な作品になっています。
Lovers walking Donjon of Edo Castle / 江戸城天守台を歩く恋人たち / Dakiny
5、いつかどこかで「ある日どこかで」
「ある日どこかで」は公開当時は失敗しましたが、その後の多くの作品に影響を与えました。そして、その中で最もメジャーな作品が、ジェームズ・キャメロンの「タイタニック」なのです。
「タイタニック」と「ある日どこかで」は、導入部とラストを現代からの回想で挟み込む構成がそっくりです。
特にラストシーンは、男女の位置関係が逆転していますが、ほとんど同じといって良いほどです。
「タイタニック」はジェームズ・キャメロンが初めて作ったラヴロマンスでしたから、当然、過去の名作をお手本にしたでしょう。
けれど、ラヴロマンスの名作なんて、世の中に星の数だけあります。幾らでもあります。
それなのに「今回の作品は、初めてラヴロマンスに挑戦しよう!」と決意した時に、どちらかと言えばマイナーなファンタジー作品である「ある日どこかで」を引用してしまうジェームズ・キャメロンは、やっぱりオタクだなぁ…と思うのです。
これからも、いつかどこかで「ある日どこかで」に影響をうけた作品に出合うかもしれません。
というのも、「ある日どこかで」が与えた影響は、単にラヴロマンスというのではなく「タイムトラヴェル・ファンタジー」というジャンルを映画の中に作ってしまったことにあるからです。
次回は、そのお話をしたいと思います。
「ある日どこかで」、観てみようと思いました。
コメントありがとうございます。
映像の美しい映画ですが、現代と過去でははっきりと映像のトーンが違っています。
じつは、撮影フィルムを変えているのです。
現代にはイーストマン・コダックを、過去にはフジフィルムを使用しています。
ハリウッド映画でフジフィルムが使用された唯一の例ではないでしょうか?
そんなところにも、ご注目ください。
前のコメントに補足します。
なぜ、過去のシーンにフジフィルムが使用されたのかですが、フジフィルムは発色が良くきれいなのですが、深みに欠けるため、映画の撮影には使われませんでした。
しかし「ある日どこかで」のスタッフは、そのフジフィルムの特性が「美しいけれど、どこか非現実的」な過去を再現するのにふさわしい、と考えたのです。こんな配慮も、映画の完成度に貢献しています。
けれど、ほとんどの映画がデジタルカメラで撮影されるようになった今では、こんな話も「美しい過去」になってしまいましたね。
ある日どこかではなんとも切なく美しい映画でした。当時はザナドゥと二本立てで上映されていましたが、ザナドゥを凌ぐ完成度だったことを思い出します。