1、スタジオ・ジブリ版動物ファンタジーの正体
スタジオ・ジブリのアニメーションのほとんどは、思春期の少年や少女を主人公にして、その成長する姿を描き、多くの人々の共感を得ています。
そんなスタジオ・ジブリにも、動物を主人公にした作品があります。それは、言うまでもなく、宮崎駿の「紅の豚」と高畑勲の「平成狸合戦ぽんぽこ」です。
Blank Airport – Flying Pig ! / oddsock
Raccoon Dogs: Tanuki;たぬき、信楽焼き / Conveyor belt sushi
ジブリの作品で主人公が人間ではなく動物なのは、この2作品だけです。動物が主人公ですから、はっきりとファンタジーであり、子供向けのディズニー的な作品であるともいえそうです。
ところが、この2作品こそ、ジブリ作品のなかでも最も大人向きで、かつ最も政治的な作品なのです。
2、社会主義革命への鎮魂歌
初めて「紅の豚」を観たとき、余りにもストレートな政治的メッセージであることにびっくりすると共に、それが批評などで指摘されないことに不思議な気持を覚えました。
「紅の豚」はタイトルからしてあからさまです。「赤い豚」ですから。
「赤い豚」は、言うまでもなく、共産主義者や社会主義者に対する蔑称です。
舞台はファシズムが台頭する1920年代のイタリア。第一次世界大戦の英雄である主人公は、軍隊に入ることを嫌い「ポルコ・ロッソ(赤い豚)」と呼ばれながら、アドリア海で紅い飛行艇に乗り、賞金稼ぎを続けています。
主人公の昔馴染みマダム・ジーナは、自分の経営するクラブで「パリ・コミューン」を追悼したフランスのシャンソン「さくらんぼの実るころ」を歌います。
このシーンは、宮崎駿からの失われた社会主義の理想に対する鎮魂歌です。
ニューヨーク バー / Norio.NAKAYAMA
ニューヨーク バー / Norio.NAKAYAMA
3、さくらんぼの実るころ
宮崎駿は、社会主義は19世紀から20世紀にかけて行われた、人間の尊厳を守る政治が実現できるのか?という壮大な実験だった。そして、みごとに失敗したのだ。と言っています。
けれど、19世紀後半のパリでほんの一瞬、短い間だけ「パリ・コミューン」という労働者による社会主義の理想的政権が実現していたのです。
残念ながら、パリ・コミューンは「血の一週間」という軍による市民の大虐殺で唐突に終わりを迎えてしまいました。
「さくらんぼの実るころ」は、ラヴソングの形で、失われたパリ・コミューンへの悼みを歌っているのです。
「紅の豚」の製作は、加藤登紀子が「さくらんぼの実るころ」を歌う姿をライブアクションで撮影することから始められました。マダム・ジーナが歌うシーンは、その実写を元に作画されています。
まずライブアクションを撮影してそれを元に作画する手法は、往年のディズニーでも採用されていましたが、宮崎駿は「アニメーションはアニメーターの想像力によって生み出されるべき」と、その手法には批判的だったはずです。
しかし、「紅の豚」のときは「この映画の全ては、ここから始まる」と言って、加藤登紀子のライブアクションにこだわりました。
マダム・ジーナの声を演じた加藤登紀子は、安保反対闘争時代の学生運動を象徴する歌姫です。
そして、映画のエンディングテーマは加藤登紀子が学生運動時代を回顧した「時には昔の話を」でした。
宮崎駿の思いが、ストレートに伝わって来ます。
4、紅の豚は飛び続ける
ソ連が崩壊したことによって東西冷戦が終結し、東側が崩壊したことによって、現実の社会主義革命は、はっきりとその終焉を宣告されてしまいました。
そして、西側の超大国アメリカは、高らかに「自由主義の最終勝利」を謳いあげていました。
かつて、社会主義革命の理想を信じた人たちは、うつむきながら(あるいは何食わぬ顔で)、静かに自由主義へと転向して行きつつありました。
「紅の豚」は、そんなソ連崩壊後の、世界の左翼が羅針盤を失い揺らいでいる時期に公開されたのです。
そこに込められたメッセージは明瞭です。
「俺は(お前たちと違って)簡単に転向しないぞ!」と叫んでいるのです。
「俺は、たとえ一人になって豚と呼ばれても、赤い飛行艇に乗って飛び続けてやるぜ!」と言っているわけです。
しかし、そのメッセージは声高に叫ばれるのではなく、独白のように呟かれています。
他人に訴えるのではなく、自分に言い聞かせるかのように。
5、過ぎ去った青春への決別
「紅の豚」は表面的には非常に明るいエンターテインメントです。ポルコ・ロッソと空賊たちが、アドリア海というリゾート地のような場所でバカ騒ぎをしているだけ、の作品にも見えます。
しかし、その背後にはファシズムの近づく時代への不安や失われた理想への追悼が流れていて、「透明な悲しみ」とでもいうべきムードが感じられます。
宮崎駿が公開後のインタヴューで「ある若い女性に『ものすごく静かな映画でした』と言われた。この人はこの映画をちゃんと受け止めてくれたと思う」と語っていたのが印象に残っています。
この作品の主人公は、「俺は飛び続けるぞ」と叫びながらも、社会主義革命という過ぎ去った青春に別れを告げているようにも、感じられるのです。
次回は、ジブリの政治闘争の第2幕「平成狸合戦ぽんぽこ」について、お話ししましょう。