「意外性」受難の時代とユージュアル・サスペクツ


1、ミステリにおける「意外性」受難の時代

近年、特にミステリ映画の世界で、オーソドックスなどんでん返しはまだまだ現役なのでしょうか?
実は残念なことに、もはや使い古されて、なかなか衝撃を受けるに至らない、というのが正直なところかもしれません。

そもそも、今の若い人たちが初めて「サイコ」や「悪魔のような女」のような往年の名作を観たとしても展開が読めてしまって、当時の観客のように素直に驚くことは出来ないでしょう。
古典的なミステリの名作のプロットは、その後さんざん模倣され尽くしているので、多くの人がオリジナルより先に、「名作の出来の悪いエピゴーネン」の方に出会ってしまっているからです。
しかも、ミステリにおける「意外な展開」のパターンはだいたい限られていますから、大抵のプロットにはすでに出会ってしまっているんですね。

そして、そんなミステリにおける「意外性」受難の時代を象徴すると思われる映画が「ユージュアル・サスペクツ」です。

ユージュアル・サスペクツ

ユージュアル・サスペクツ


2、掟破り「ユージュアル・サスペクツ」の登場

「ユージュアル・サスペクツ」は1995年に公開された、脚本クリストファー・マッカリー、監督ブライアン・シンガーの作品で、アカデミー脚本賞を受賞しています。

いつもケチな犯罪をしている5人の「おなじみの容疑者(ユージュアル・サスペクツ)」達が、伝説のギャング「カイザー・ソゼ」の企みに巻き込まれる経過が、少しずつ解き明かされていくドラマです。

公開されてから、もう20年近くになるんですね。若い人には十分「昔の映画」でしょうが、この作品に出会った時のショックはまだまだ新しいものです。

今「意外なラストの映画を一本上げろ」と聞かれたら「ユージュアル・サスペクツ」を上げる人は、かなり多いのではないでしょうか?

私も、この作品を観た時はラストにびっくりしました。しかし、その驚きは心地よい快感ではありませんでした。

なぜなら「ユージュアル・サスペクツ」は、ファンタジーやSFにおける『夢落ち』に相当するような、とんでもない反則技を使っていたからです!

3、ミステリにおける「夢落ち」?

夢落ちは、ファンタジーやSFでは絶対にやってはいけない!と言われている禁じ手で、異世界や未来のドラマをさんざん語った後に「ハッと目が覚めたら夢だった…」で終わるものです。
これを認めてしまうと、何でもアリになってしまいます。
何でもアリは、何にもないのと同じです。せっかく構築した異世界や未来社会が、リアリティを持って私たちの胸に迫ることもなくなってしまいます。

そして「ユージュアル・サスペクツ」も、様々な謎が解き明かされた後に「全部○○でした〜」と言ってしまい、観客を放り出すのです。確かに意外ではありますが、「ミステリで、それをやっちゃあ、お終いよ」なのです。

本来の良くできた「意外なラスト」はラストに向けて伏線を張り巡らせておいて、真相を知った読者や観客に「そうだったのか!確かにそうだよ!そうに、決まってるじゃないか!」と叫ばせるものです。
作者とのフェアな知恵比べに見事に敗れたからこそ、快感が生まれるのです。

ところが、「ユージュアル・サスペクツ」のオチは、予想しようがないので、観客の感想は「そうだったのか!」ではなく「解かる訳ないだろ!」になってしまいます。フェアに騙された感じがしない訳です。

4、反則技の時代

もっとも、従来の「意外なラスト」は現代の観客にはほとんど想像がついてしまいます。「ユージュアル・サスペクツ」のような「反則技」を使わなければ、現代の観客を引っ掛けることが出来なくなっているのかもしれません。
ただし、この反則技では、観客に意外なラスト本来のカタルシス(フェアプレイによる「そうか!そうだったのか!」)を感じさせるのは難しくなります。

「ユージュアル・サスペクツ」が上手いのは、ラストの真相を明かす語り口が、ちょっと気が利いているので、観客はフェアプレイによるカタルシスを感じたような錯覚を覚えるのです。
そのせいか、「ユージュアル・サスペクツ」はミステリの本質を破壊しかねない危険を秘めた反則技を使っているにも拘らず、今では普通に名作扱いされてしまっています。

アクロイド殺し

アクロイド殺し

5、フェアかアンフェアか?

「ユージュアル・サスペクツ」の脚本家は「クリスティの「アクロイド殺し」にヒントを得た」と語っているようです。
確かにそう言われると両者には共通点があります。「アクロイド殺し」も発表時に「フェアかアンフェアか?」で論争が起きました。

しかし、両者は似て非なるものではないでしょうか?
(これ以上お話しすると、両作品のネタバレに踏み込まなければなりません。回を改めて、しっかりお話ししたいと思います)

「ユージュアル・サスペクツ」を「アンフェア」だと指摘する人が、何故かミステリ好きにもあまりいないのが不思議でもあり、困ったことでもあります。

元日本版ヒッチコック・マガジンの編集長である作家の小林信彦は、流石に「これはアンフェアだ」ハッキリ指摘していました。(こんな脚本がアカデミー賞とはアメリカも劣化したものだ、とすら言っていましたね)

たまにはこんな変化球も良いとおもいますが、「意外なラスト」の未来が「ユージュアル・サスペクツ」にしかないとしたら、ちょっと困ったことです。

反則技の困ったところは、誰にでもマネがしやすい所で、あっという間に広まってしまいます。もう一度王道に戻って、読者や観客を気持ちよく騙してくれる作品の登場を願っているのですが…。

※反則技の時代における「意外性」の映画ベスト?ファイブ

1、「エンゼル・ハート」アラン・パーカー監督(1987年)
2、「愛という名の疑惑」フィル・ジョアノー監督(1992年)
3、「真実の行方」グレゴリー・ホブリット監督(1996年)
4、「閉ざされた森」ジョン・マクティアナン監督(2003年)
5、「アイデンティティ」ジェームズ・マンゴールド監督(2003年)

1、エンゼル・ハート

エンゼル・ハート

エンゼル・ハート

ミッキー・ロークがまだバリバリの二枚目だった頃に撮られたオカルト風ハードボイルド・ミステリ。しがない私立探偵が悪魔的な連続殺人に巻き込まれ、追い詰められてゆく。スタイリッシュな映像がカッコいい。ラストは意外であると同時に納得の結末。

2、愛という名の疑惑

愛という名の疑惑

愛という名の疑惑

精神分析医のリチャード・ギアが夫殺しの容疑をかけられたキム・ベイシンガーにのめり込んで行く。彼女は本当に犯人なのか?オーソドックスでしっかりしたサスペンス。

3、真実の行方

真実の行方

真実の行方

またしてもリチャード・ギア主演の法廷サスペンス。主人公の弁護士が殺人容疑から救おうとする青年を演じる、エドワード・ノートンが素晴らしい。

4、閉ざされた森

閉ざされた森

閉ざされた森

ジョン・トラボルタ主演の、米軍基地を舞台にした「羅生門」的ミステリ。意外性を追求するあまり、かなり反則技の世界に足を踏み入れています。

5、アイデンティティー

アイデンティティー

アイデンティティー

「ミステリで最も意外で困難なシチュエーションは何か?」という問題にトライしたかのような作品。ミステリにおけるチャレンジ精神という意味では必見の作品です!

ブックストア ウディ本舗

SF、ミステリ、映画の本などを中心としたネット古書店です。ノンフィクションにも力を入れています。

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