決して倒れない意志、中田英寿


1、 史上最大のワンツー

その時、自陣の左サイドでボールを持った中田英寿は、右サイド前方に向かって大きなロングパスを蹴りました。余りに大きいのでカメラも追いきれません。
「どこに蹴ってんだ?パスミスか?」と思っていると、ボールの飛んだ先、ゴール近くの右サイドにはブラジル代表のカフーが走りこんでいます。

そして、パスを受けたカフーが中央にセンタリングを上げると、驚いたことにゴール前に中田英寿が飛び込んで、見事なボレーシュートを決めたのです!

フィールド全体の3分の2は使った、こんなバカでかいワンツーを初めて目にしました。

2000年のセリエA、ローマ対ウディネーゼ戦のことです。この時、中田英寿はローマの司令塔で出場していたのです。


FLAMENGO 2 X 1 GOIÁS / Digo_Souza
 
celebrations after 1st half goal / martin english (AUS)

2、 全国民がサッカー評論家になる季節

いよいよワールドカップ・ブラジル大会が始まります。
ブラジルでは、政府に対する国民の「ワールドカップどころではない」という不満が吹き荒れて大変な状況のようです。(これは、日本も全く他人事ではないですね)

とは言え、やっぱり4年に一度のお祭りです。すべての日本人がサッカー評論家になる季節がやってきたのです。
そこで、私もその尻馬に乗ってサッカーについて書いてみたいと思います。

サッカーに詳しい方から見ると「何言ってやがんだ」という面もあると思いますが、そこは「4年に一度のお祭りの賑やかし」ということで、大目に見て頂けると嬉しいです。
もっとも、私が書くからには、昔話になってしまうのですが…。

3、甦った、中田英寿「映像追っかけ」の頃

そもそも、私がサッカーについて書こうと思ったきっかけは、最近youtubeで

「中田英寿 プレー集 -HIDETOSHI NAKATA The Legend-」

という動画を観たからです。2012年7月11日 に公開されているので、もう2年ほど経っていますから、すでにご覧になっている方も多いかも知れませんが、私はつい最近、偶然みつけたのです。

この動画は編集、音楽ともになかなか見事な出来映えで、動画を見つけた日は、繰り返し繰り返し何度も見てしまいました。

引退して旅人になってしまってからは興味が無くなってしまいましたが、私は現役時代の中田英寿選手のファンでした。
中田英寿は、1998年7月に当時世界最高のリーグだったセリエAのペルージャに21歳で移籍、強豪ユヴェントスとの開幕戦でいきなり2ゴールを上げるという衝撃的デビューを飾りました。
それにショックを受けて以来、私はセリエAでの中田英寿の「映像追っかけ」をするようになったのです。

そして、この動画は、当時私が深夜に衛星TVで、夢中になって中田英寿の試合を観ていたころの興奮を思い出させてくれたのです。

4、決して倒れない意志

通常この手のサッカーの名場面を集めた動画は、シュート・シーンを中心に構成されていることが多いのですが、それでは、中田英寿のプレーの魅力は判りません。

ところが、この動画はドリブルによるボールキープやスルーパスのシーンを数多く紹介していて、全盛時の中田英寿のプレーをリアルタイムで見たことが無い人達も、そのプレーの凄さの一端を見ることが出来ます。

全盛時の中田英寿の凄さは、プレーのスピードと判断の速さ、そして簡単には倒されない体幹の強さであり、驚くべき視野の広さで繰り出されるスルーパスやロングパスでした。
特に、一度ボールを持つと、ラストパスやシュートに持ち込むまで絶対に倒れようとしないプレーは、驚嘆すべきものでした。

当時の彼のプレーを見ていると「ファールというルール」を知らないんじゃないか?と思うほどです。

現役時代の中田英寿が倒されてファールをアピールする場面を見たことがありません。それどころか、アウェーの試合でも中田英寿が倒れると必ずファールの笛が吹かれました。

通常はホームタウン・デシジョンのためアウェーの選手はなかなかファールを採ってもらえないので、これは珍しいことなのですが、中田英寿の場合「誰がどう見てもファール」の時にしか倒れようとしなかったので、審判員も笛を吹かざるを得ないのです。

はっきり言って、こんなプレーを見せる選手は、欧州のトップ・プロにだって、いませんでした。


DV863708 / tunisiafun
 
Football at Fenway – Red Bleachers / Eric Kilby

5、世界最高峰の壁

しかし、中田英寿の本当の全盛期は意外に短くて、セリエAのペルージャとローマに在籍した1998年~2000年の3年間だったと思います。
ペルージャの2シーズン目の途中でローマに移籍した1999年は特に素晴らしかった。

もちろん、中田英寿は一貫して優れたサッカー選手でしたが、この3年間のプレーは飛び抜けて素晴らしく、見るものを夢中にさせました。

中田英寿はペルージャで、最初のシーズンに10ゴールを上げる目覚ましい活躍を見せ、2シーズン目の途中に名門ASローマへの移籍を果たします。ローマの監督だったファビオ・カペッロが、中田の獲得を強く希望したのです。

当時の日本はフランス大会でワールドカップに初出場したばかりで、しかも3戦全敗という結果でした。
そんな日本のサッカーが国際的に全く評価されていない時代に、21歳の選手がセリエAに行ったことすら大ニュースでした。しかも、1年目から見事な実績を上げ、2年を待たずしてビッグクラブからのオファーを獲得したのですから、これは本当に大変なことだったのです。

中田英寿の前途はさらに輝いているように思われました。

しかし、監督に熱望されて移籍し、しかも全盛期の素晴らしいプレーを見せていたにも関わらず、中田英寿のローマ移籍は完全な成功とは言えませんでした。

「全盛期なのに成功ではない」これが、当時世界最高峰セリエAの壁だったのです。

この続きは、次回にお話ししたいと思います。

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決して倒れない意志、中田英寿」への1件のフィードバック

  1. woodyallen 投稿作成者

    今回のコラムの主目的は「中田英寿プレー集 HIDETOSHI NAKATA The Legend」という動画を、ご紹介することにありました。
    とにかく、観てもらえば、私の興奮もご理解いただけるのではないか?と思います。
    コラムの最初に書いた「史上最大のワンツー」は、動画の中の、6分20秒頃に収められています。

    返信

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