1、本田圭佑の苦悩
2013年12月、日本代表の本田圭佑がセリエAの名門ACミランに移籍し、サッカーにおけるエースナンバーといえる10番を付けたのは、大きなニュースになりました。
しかし、本田圭佑は思ったようなパフォーマンスを見せることが出来ず、イタリアのマスコミのバッシングに遭い、チーム内でも少し孤立気味の厳しい状況にあるようです。
やはり、現在低迷しているとはいえ、名門ACミランの10番を背負ったことによる内外のプレッシャーは、相当なものでしょう。
1年目の本田圭佑には、チームメイトからボールがなかなか回って来ませんでした。
これでは満足なプレーが出来るはずがない、と本田選手のファンもイライラしているようです。
けれどこの状況は、中田英寿のセリエA1年目と、とてもよく似ているのです。
En el aire / Jan S0L0
AC Milan ultras / olaszmelo
2、中田英寿にボールは来ない
セリエAのペルージャに移籍した中田英寿は、初戦にいきなり2得点を上げる鮮烈なデビューを果たしました。
それでも、1年目の中田英寿にボールは回ってきませんでした。
せっかく中田英寿がスペースに走り込んでもパスをしようとせずに、むざむざ敵に潰されるペルージャの選手たちを見ながら、私はテレビの前でイライラしていました。
しかし中田英寿は「信頼できるかどうか分からない選手に、ボールを渡さないのは当然の事」と、この状況を冷静に捉えていました。
「信頼を勝ち取って、自分にボールを回させるしかない」と。
3、中田英寿の苦闘
ペルージャ時代の1年目に中田英寿は10得点を上げています。それに対して2年目はシーズン途中にローマに移籍したとはいえ、3得点だけでした。
それでは中田英寿のプレーは、1年目の方が良かったのでしょうか?そうでは、ありません。本当に良かったのは2年目のプレーでした。
2年目のペルージャは完全に「中田英寿のチーム」になっていました。
チームメイトからの信頼を得た中田英寿は、司令塔としてゲームを自分の思い通りにコントロールして、本来の「シュートをさせる」役割に徹することが出来るようになったのです。
しかし、1年目の中田英寿は、孤独でした。
彼は自分自身でゴールを奪うことによって、チームの信頼も奪い取ろうと苦闘していたのです。
それが、決して倒れないという闘志をむき出しにしたプレーであり、1シーズン10得点という結果だったのです。
4、ASローマへの挑戦
ペルージャで見事な成功を収めた中田英寿は、2シーズン目の途中で名門ASローマへ移籍します。
この移籍は快挙でしたが、同時に不安視する声もありました。
というのも、ローマには中田英寿と同じポジションにスーパースター、フランチェスコ・トッティがいたからです。
ようやくペルージャが「中田英寿のチーム」になったばかりなのに、ポジションの保証されないビッグクラブへの移籍は止めた方がよい、という声もあったのです。
しかし、中田英寿はASローマでの挑戦を選びました。
Roma-Napoli / luigig
ChelseaASRoma-31 / thearcticblues
5、成功とジレンマ
ローマに移籍した中田英寿は、トッティが欠場すると代わりに司令塔を務めたのですが、この時のプレーは本当に素晴らしいものでした。
驚くべき視野の広さでロングパスやスルーパスを次々と決める中田英寿の姿は、ビッグクラブの一員となった喜びと自信に満ち溢れていました。
特に印象に残っているのは、試合後の街頭インタヴューで地元ローマのファンが「何であんな凄いロングパスができるんだろう。頭の後ろに目が付いているみたいだ。ローマは司令塔を、トッティからナカタに代えた方が良いんじゃないかな?」と呟いていたことです。
しかし、トッティも中田英寿とタイプは違いますが素晴らしいプレーヤーであり、しかもローマのみならずイタリアを代表するスーパースターです。
ローマが、トッティを外国人である中田英寿に代えることは、あり得なかったのです。
6、壁
そもそも、中田英寿はトッティと競わせるためにローマに呼ばれたのではありません。
守備的ミッドフィルダーであるボランチとして、ローマに新しい強さをもたらす役割を期待されていたのです。
しかし、慣れないボランチとして起用された中田英寿は、すぐに結果を出すことは出来ませんでした。
選手の層が厚く、常に勝利を求められるビッグクラブでは、「選手を育てる」とか「我慢して使う」という発想はありません。
「すぐに結果が出ない」ことは「レギュラーをつかみ取れない」ことを、意味していました。
その後も、トッティの代わりに司令塔で出ると素晴らしいプレーを見せるのですが、あくまでも代役ですから、出場の機会は次第に減っていくことになります。
Catania-Roma (semif.coppa Italia) / calciocatania
Catania-Roma (semif.coppa Italia) / calciocatania
7、本物の一流
現在も、本田圭佑選手がACミランで、本来の司令塔ではなく右サイドで起用されることに苦悩しています。
これについて、ACミランのOBで元イタリア代表のディフェンダーだったコスタクルタは、雑誌のインタヴューに答えて
「本物の一流と呼ばれる選手は、ポジションが少しばかり変わろうとも実力を余すことなく発揮できるものだが、そうではない選手は、やはり自らが最も望むポジションでプレーするより他はない」
「事の核心はポジションがどうとかいう次元にはない、というのが僕の考えだ」
と厳しいコメントを寄せています。
あれだけ見事なプレーを見せていた中田英寿も、名門ASローマにおいては「本物の一流」にはなり切れなかった、という事なのでしょうか。
ローマのカッペロ監督は中田英寿の出場機会が減ったことについて「ナカタには何の問題も無いんだ。しかし、うちにはトッティがいるからね…」と言葉少なに語っていました。
8、挑戦の終わり
ローマでの2年目には出場機会の減った中田英寿ですが、最後に決定的な仕事を残しました。
その年のセリエA優勝を賭けた、絶対に負けられない強豪ユヴェントスとの頂上決戦は、2点を取られたまま後半20分となり、敗色濃厚でした。
そこに、トッティと交代して途中出場した中田英寿は、見事なミドルシュートで2得点にからんでこの試合を同点に持ち込み、ローマの優勝に大きく貢献したのです。
当時ユヴェントスにいたジダンは「ローマはナカタに感謝するべきだ。彼のおかげでローマは優勝した」と話しています。
これが、ローマにおける中田英寿の最後の印象的な仕事になりました。
翌年、中田英寿はセリエAの中堅チーム・パルマに移籍します。
移籍金33億円のビッグ移籍でしたから、高い評価を得ての移籍だったことが分かります。
しかし、中田英寿のASローマでの挑戦は、ここで終わりました。
本田圭祐のACミランでの2年目の挑戦には何が待っているのでしょうか。
中田英寿がローマの優勝に貢献した有名な2得点は、前回のコラムでご紹介した動画の6分40秒頃に収められています。
現地の中継でイタリアのアナウンサーがめちゃくちゃ興奮していたのが印象的です。