1、スタジオジブリ解散の衝撃
2014年8月5日に、日本エンタテインメント業界にとって衝撃的な報道が流れました。
「スタジオジブリ」代表取締役の鈴木敏夫プロデューサーが、いったん映画制作部門を解体し、今後は版権管理などの事業だけを継続するという方針を発表したのです。
スタジオジブリは、日本人なら子供から老人まで誰でも知っているだけでなく、良心的でレベルの高い作品を提供するアニメーション・スタジオとして、ディズニーに並ぶほどのブランドイメージを確立しています。
そのスタジオジブリが、アニメ制作から撤退するというのは、正に衝撃的なニュースとして日本全国を駆け巡りました。
ニュースに対する余りの反響の大きさから、3日後の8月8日には、鈴木敏夫プロデューサーが改めて取材に応じて「人員は縮小するが、映画作りをやめることはない」と、ジブリそのものの解散は否定しました。
しかし、映画工房としてのジブリを解体し職能集団を解雇するのは事実なのです。
200人以上とされるスタジオジブリ所属のアニメーターには制作部門の解散を伝え、すでに人員整理に取りかかっていたのです。
Studio Ghibli / Dick Thomas Johnson
三鷹の森 ジブリ美術館 / Kentaro Ohno
2、「映画工房」ジブリの解体
スタジオジブリは、企画から原動画、美術、撮影そして録音まで、アニメ制作過程の全てを一つのスタジオで、しかも高いレベルで行うことができた稀有な工房でした。
このような完成された映画工房を一度解体してしまうと、簡単には同じレベルの組織を再現することは出来ません。
失うものは余りに大きいと言えるでしょう。
スタジオジブリは今後、映画制作の都度スタッフを集める一般的な方式に切り替えるのでしょうが、アニメーターは熟練した職人であると同時にアーティストでもあります。
単なる労働者のように、簡単に入れ替えの利く存在ではありません。
ジブリの経営陣は考えが甘いのではないでしょうか?
今のジブリは、宮崎駿の存在がなくても高いレベルを維持できる工房に、ようやく育った所だった筈です。
3、ジブリ解体のもう一つの意味
スタジオジブリの映画制作部門解体には、もう一つ大きな意味があります。
それは、日本で唯一まともな労働環境を提供していたアニメスタジオが、維持できなくなったという事実なのです。
ジブリは、日本のアニメスタジオとしては例外的に、アニメーターを社員として雇用し固定給を支払うシステムを採っていました。
そのため、ジブリの人件費は年間20億円を超え、1作品の制作にかかる費用は約50億円にも上るのだそうです。
このシステムを維持するためには、映画1本あたり100億円以上の興行収入を上げ、さらに毎年のように映画を公開する必要があるのですが、宮崎駿の引退によりそれが困難になったことが、今回の制作部門解体の原因であると言われています。
私は、常々「アニメーターの労働環境を改善しなければ、日本のアニメに未来など無い」と考えて来ましたので、これは象徴的な出来事なのです。
Comic Market 78 2nd day_003 / TAKA@P.P.R.S
Akihabara / 秋葉原 #08 / marumeganechan
4、アニメーター哀史
アニメ大国と言われながら、日本のアニメ制作現場の労働環境は、極端な長時間労働と低賃金で、人材離れが進むどころか、新たな人材流入が困難なほど劣悪な状況なのです。
アニメーターのほとんどは、アニメ制作会社から動画1枚いくらという出来高制で仕事を請け負うフリーランスです。しかも、その収入は驚くほど低いのです。
例えば大学の美術系の学部を出て、新卒でアニメの制作現場に入ったある青年の場合、週6日勤務で、朝10時から早くて夜8時、遅ければ徹夜の毎日にもかかわらず、収入は、初任給が8,000円、5か月目で3万円だったというのです。
この収入ではもちろん生活など出来ませんし、労働時間が長くてアルバイトで収入を補うことも出来ません。
ですから、アニメーター志望の若者の多くは、最初から「アニメで稼ぐ」ことは諦めています。
20代は親の協力などを得て「青春の記念」としてアニメ制作現場で働きますが、30代を迎える頃になると、アニメを諦め「正業」へと転職して行くしかないのです。
それでも、「アニメーションを作りたい」という熱意のある若者は、新しくやって来ます。
そうした若者たちの夢と熱意を食いつぶしながら維持されているのが、今のアニメ業界なのです。
仮に、参加したアニメ作品が大ヒットして莫大な収益をあげても、ほとんどのアニメーターには何も還元されません。
しかし、「アニメーションという商品」の質と魅力を作り上げているのは、現場のアニメーターなのです。
このような業界に、未来があるでしょうか?
5、「クールジャパン推進」という虚構
日本政府は2010年「クールジャパン」を政策として掲げ、300億円を出資してクールジャパン機構(海外需要開拓支援機構)を設立しました。経済産業省は、「クールジャパンの推進」すなわちアニメやゲームなどの日本文化の世界市場を拡大し、2020年にはマンガやアニメなどの海外売上高で3兆円の獲得を目指すと宣言しました。
しかし、その実態は、どうなのでしょうか?
経済産業省が予算を出すのは、例えば、シンガポールで「クールジャパン展」を開催して、美術展やファッションショーの費用として15億円を拠出するなど、制作の現場とは関係のない箱モノやイベントだけなのです。
驚いたことに、日本のフリーのアニメーターや演出家の賃金は、この20年間上がっていないのです。
これには、人件費の安い韓国や中国、東南アジアの市場と競争しなければならない、という現実もあります。
日本のほとんどのアニメ制作会社は、原画や動画の多くを海外に外注しているので、賃金を上げるどころか、仕事が減りつつある現状があるのです。
2007年10月に、このようなアニメ制作現場の労働環境を改善しようと、アニメーターや演出家たちによる「日本アニメーター・演出協会(JAniCA)」が設立されました。
アニメ業界でこうした団体ができるのは初めてで、賃金アップや残業代の支給を業界に訴え始めています。
日本政府は、このような活動こそ援助すべきなのですが、そうした素振りは全く見せません。
それどころか「ポップカルチャー、マンガ、アニメーションを推進する」と言って置きながら、むしろ、マンガやアニメに対する表現規制の動きを強め、制作現場の不信感を増大させています。
Laputa / Focx Photography
Sunset,夕日 / Naoki Ishii
6、「クールジャパンという幻想」の終焉
「マンガ・アニメ文化は日本が世界に誇るべきもの」であり「日本の貿易資源とすべきだ」。政治家もマスコミも、このようなキレイごとのキャッチフレーズを唱えます。
もし、日本が本当にアニメーションの振興に力を入れるというなら、アニメ制作現場の劣悪な環境を改善し、新しい、熱意と才能のある若者が「夢と未来を託せる」業界にすることから始めなければならなかったのです。
宮崎駿は、早くから、このようなアニメ業界の劣悪な労働環境を批判し、改善を訴えていました。
スタジオジブリで、異例の固定給制に踏み切ったのも、そうした状況に対する挑戦だったのです。
そして今、その挑戦は敗北という形で終わろうとしています。
今回のスタジオジブリの制作部門解体によって、アニメーター達は解雇され、管理職だけが残ります。
マンガに例えると判りやすいでしょう。
人気連載マンガの売上が落ちて来た結果、編集者だけが残って、マンガ家はクビになるのです。
しかし出版社は「連載マンガはやめません。必要なら他のマンガ家を雇います」と言っているワケです。
果たして、面白いマンガを、続けられるのでしょうか?
これは「クールジャパンという幻想」の終焉の始まりなのです。