1、誤解される巨人
スタンリー・キューブリックはご存知だと思います。名作「2001年宇宙の旅」や「時計じかけのオレンジ」で知られ、1999年の「アイズ・ワイド・シャット」を遺作として亡くなった映画監督ですが、その演出における執拗なまでの完全主義と完璧な映像美は有名で、20世紀映画界における巨人の一人と言って良いでしょう。
すでに語り尽くされていると言っても良いスタンリー・キューブリックについてお話ししようと思ったのは、最近、彼についてかなり偏った否定的な発言が目につくようになったからです。これは、スタンリー・キューブリックが一時期あまりにも神格化されてしまった反動なので、仕方がない面もあります。
しかし、今ではキューブリックを良く知らない若い方も増えているので、誰かがバランスを取らないとキューブリックが不当に誤解されてしまうのではないか?と懸念しているのです。
2、映像美の追求
カメラマン出身のキューブリックはまず、その完璧な映像美の追究で知られています。
特に1968年という「アポロ11号の月面着陸の1年前」に公開された代表作「2001年宇宙の旅」では、まだCGはおろかコンピューター制御のカメラも無い時代とは思えないリアルな映像で宇宙旅行を描き出しました。
「2001年宇宙の旅」の映像は今観ても見事ですが、公開当時は「異形」といって良いほど、時代とかけ離れたリアルさがありました。1960年代には多くのSF映画が作られましたので、DVDなどでその映像を見比べて頂ければ判るのですが、とても同時代に作られたとは信じられないほど「2001年宇宙の旅」の映像のリアリティは突出しています。
1975年の「バリー・リンドン」では、18世紀のヨーロッパを完璧な考証で再現しました。18世紀の夜はロウソクの灯りしかなかったので、NASAがアポロ計画のために開発したレンズを使用して、当時は不可能だったロウソクの光だけの撮影を可能にしました。その映像は、ワンショット・ワンショットが泰西名画のような美しさです。
そのような、映像美の追求は称賛と同時に、「キューブリックは映像だけで人物が描けない」という批判も生んでいました。
3、演技がわからない?
スタンリー・キューブリックは、前回お話ししたデヴィッド・フィンチャーと同様、一つのシーンを100テイクも繰り返すほど粘ったことで知られています。というより、キューブリックこそが、そのような演出スタイルの元祖なのです。
1968 … ’2001′ TMA-1 excavation site / x-ray delta one
ところが、キューブリックが何度もリハーサルやリテイクを繰り返す理由について、最近非常に人気の高い某映画評論家は「キューブリックは演技のことがまるで分からなかったので、何度も繰り返させたのだ」などと、まことしやかに語っているのです。多分、キューブリック映画の出演俳優がインタビューなどで面白おかしく話した事を、そのまま引用しているのだと思われます。
キューブリックはかなり癖のある人でしたから、俳優や脚本家の中には彼に良い思い出を持っていない者もいるので、意地悪なコメントをしたのでしょう。
4、メソッド演技へのこだわり
しかし、1956年の「現金に体を張れ」に始まって、44年間を演出家として過ごしたスタンリー・キューブリックが、「演技がまるで分からなかった」ことなどあり得ない話です。
この映画評論家は話を面白くするために大げさに語るクセがあるので、どこまで本気で言っているのか分かりませんが、自身の発言の影響力を考えて、少し気を付けて頂きたいものです。
実際には、スタンリー・キューブリックは俳優の演技を非常に重視した演出家でした。
Stanley-Kubrick-preparing-the-deleted-pie-throwing-scene-for-Dr.-Strangelove / Raoul Luoar
キューブリックは映画監督を志す者の必読書として、プドフキンの「フィルム・テクニック」という映画技術、特に「映画の編集とは何か?」を解説した本と共に、「スタニスラフスキーが演出する」というスタニスラフスキーの演出現場における聞き書きを推薦しています。
スタニスラフスキーは、現代の演技理論の基礎を確立した演劇人であり、現代のハリウッド俳優の演技は、スタニスラフスキーの理論を取り入れた「メソッド演技」が基本となっています。
それでは、スタンリー・キューブリックは何を考えて、あのような演出スタイルを採っていたのでしょう?次回は、彼の演出の本質について、もう少し詳しくお話したいと思います。