誤解される巨人、スタンリー・キューブリック ②


1、気にするなよ

1987年に公開されたスタンリー・キューブリック監督によるヴェトナム戦争映画「フルメタル・ジャケット」の撮影中、若い兵士役の俳優が、劇中でニュースのインタビューを受ける短い芝居がどうしてもうまく出来ず、その日の撮影はワン・シーンも撮れずに終わりました。


full metal jacket / daniel duende
 
Full Metal Jacket / Honza Dupleix

その夜、俳優たちが寛いでいる部屋にスタンリー・キューブリックが現れ、落ち込んでいるその俳優に声をかけました。
「気にするなよ。君は必ず出来るさ。一週間かかったって良いんだ」

キューブリックが部屋を出てゆくと、俳優たちはパニックに陥りました。
「あいつ、このシーンの撮影を一週間続ける気だぞ!」

2、なぜ同じシーンを何度も?

スタンリー・キューブリックは、何十テイクも撮り直しをするだけでなく、非常に長い時間をかけてリハーサルをすることでも有名でした。俳優に同じシーンを、何度も何度も演じさせるワケです。

しかし、キューブリックは俳優に対して丁寧に説明をするタイプの演出家ではありませんでしたから、不安に感じる役者も多かったのです。「時計じかけのオレンジ」の主演マルコム・マクダウェルは「キューブリックは何回も演じさせるけれど『じゃあ、どうやったらいいんだい?』と聞いても答えないんだ」と不満を漏らしています。


Malcolm McDowell / CavinB

しかし、俳優の質問に答えないことが「演技が分からない」ことにはなりません。演出家には、どう演技するかを全て細かく指示するタイプと俳優に考えさせるタイプがあります。例えば小津安二郎は箸の上げ下げまで「自分で演じてみせて」細かく演技を指定しましたが、溝口健二は俳優に一切説明をせずに、俳優に「求める演技」を探させました。
そして、スタンリー・キューブリックも、俳優に考えさせるタイプの演出家なのです。

3、セリフを覚える

キューブリックは、あるインタビューで、自分が何回もテイクを重ねるのは俳優がセリフを覚えていないからだ、と答えていました。

「私が100テイクも撮るとか言われているが、本来、撮影なんてせいぜい15テイクもやれば十分なんだ。それなのに、セリフをちゃんと覚えていない役者がいるから100回も繰り返すことになる。ところが、そんな役者が後で『キューブリックは100テイクも撮ってスゴイ』なんて吹聴するんだから、迷惑な話しだよ」

余りの言い草に、これを読んだ時には思わず笑ってしまいました。スタンリー・キューブリックの才能を早くから認め「スパルタカス」の監督に抜擢したカーク・ダグラスが、「キューブリックは才能のあるクソッタレだ!」と毒づいたのは、こんな所かもしれません。

ところで、ここでキューブリックが「セリフを覚えていない」と言っているのは、「セリフを暗記していない」という意味ではありません。セリフを単なる暗唱ではなく「登場人物の生きた言葉」として話せるかどうか、を問題にしているのです。

4、生きたセリフを話す

例えば、1980年のモダンホラー映画「シャイニング」でバーテンダーの幽霊を演じたジョー・ターケルは、ベテランでしたが全くセリフの覚えられない俳優で、終始カンニング・ペーパーを見ながら演技していました。
しかし、ジョー・ターケルはクビになったり、出場がカットされたりはしていません。キューブリックも「よく見ると、彼の眼がカンニング・ペーパーを追っているのが分かるよね」と笑っていましたが、彼の演技自体には納得している様子が伺えます。

「博士の異常な愛情」の時は、「ジョージ・C・スコットは何度でも同じように演じられたが、ピーター・セラーズは最初のテイクでは天才的だが二度と同じ事が出来なかったので、二人のバランスを取るよう心掛けた」と語っています。いたずらにリテイクを重ねていた訳ではないのです。

つまり、あくまでも、「生き生きとリアルに登場人物を演じる」「生きたセリフを話す」ことが大事なのであって、そのために何回も繰り返されるリハーサルがあり、何十回も重ねられるリテイクがあるのです。

キューブリックは、リハーサルやリテイクの「過程」自体をとても大切にしていて、「リハーサルは、もうひとつの『創造』なのだ」と語っていました。

次回は、いよいよ(?)「誤解される巨人、スタンリー・キューブリック」の最終回です。

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