ワンテイクしか撮らなかった巨匠、大島渚


1、キューブリックと大島渚

完全主義者スタンリー・キューブリックの演出方法について書いている間、私はある映画監督の名前を思い出していました。
それは、日本映画界の巨匠、大島渚です。

大島渚は色々な面でスタンリー・キューブリックと対照的な演出家でした。

スタンリー・キューブリックが一つのシーンを100テイク撮るほど粘ったのに対し、大島渚は基本的にワンシーンをワンテイクしか撮りませんでした。スタンリー・キューブリックが延々と繰り返すリハーサルを非常に重視したのに対し、大島渚はリハーサルを嫌い、ぶっつけ本番で撮りたがりました。

しかし、スタンリー・キューブリックと大島渚は、遠いようで近い場所にいた演出家だったのです。
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2、反骨の作家

大島渚は、1959年に27歳の初監督作「愛と希望の街」で鮮烈な登場をし、「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の俊才として注目を浴びました。ところが、翌年、日米安保闘争をテーマにした「日本の夜と霧」が上映を打ち切られた事件をきっかけに映画会社と対立し、松竹を退社してしまいます。

その後は独立プロ「創造社」を立ち上げ、主にATGと提携して「1000万円映画」という、当時としても超低予算の規模で政治的主張の強い映画を撮り続けます。

松竹退社の経過を見ても判るように、大島渚は「反骨の作家」でした。常に挑戦的なテーマを扱った大島渚の作品は、次第に海外の映画祭などで評価を高めて行きます。

そして、1976年に阿部定事件をハードコア・ポルノのスタイルで描いた日仏合作の「愛のコリーダ」で、センセーションと共に「世界のオーシマ」となるのです。
その後、「戦場のメリークリスマス」や「マックス・モン・アムール」など世界を舞台にした作品を発表しましたが、1996年に旅先のロンドンで脳出血に倒れます。一時期リハビリで回復し「御法度」を完成させますが、それを遺作に、2013年に80歳で亡くなりました。

大島渚の世界での評価は高く、特に欧州では20世紀を代表する偉大な映画作家の一人と考えられています。私が、もし「日本の映画監督から一人だけ選べ」と言われたら、黒澤明でも宮崎駿でもなく、大島渚を選びたいと思います。

3、ワンテイク・オオシマ

フランスで「マックス・モン・アムール」を撮影した時に大島渚に付けられたあだ名は「ワンテイク・オオシマ」でした。

大島渚は「ファーストテイクこそベストテイク」だと考え、リテイクを好みませんでした。
リハーサルを嫌ったのも、最も優れたパフォーマンスは一番最初に現れる、と考えていたからです。

「最初の一番良いものを繰り返すには、その後、何十回も繰り返さないとならない。ところが、ダメな監督はまず一番良いものを見てから、本番で『もう一度繰り返せ』と言うんだよ。カメラマンにとっても役者にとっても、それは、本当は無理なんだと思う」

4、人生は一度きり

大島渚の映画を観ていると、役者がコケそうになったり、セリフを噛んでしまったりするシーンに出くわしますが、その場面には奇妙なリアリティがあります。
彼は、ベストテイクどころか、素人が見ても明らかなミスショットであったとしても、ファーストテイクを使いたがりました。ミスをした役者からリテイクの申し出があっても、滅多に承諾しなかったそうです。

私たちは普段の生活で、真面目に振る舞っているのに言い間違いをしたり転んだりすることがいくらでもあります。それなのに、映画の中では常に完璧に演じるなんておかしいのではないか?と言うのです。

大島渚がいつも言っていたのは、「人生は一度きりしか演じられないのに、なぜ、映画では何度も演じられるのか。それは本当のリアルではない」ということでした。

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5、映画は俳優のドキュメンタリー

大島渚は「映画は俳優のドキュメンタリーだ」と考えていました。

ですから、プロの役者よりもミュージシャンなどの素人を使うのを好み、しかも、リハーサルをせずにぶっつけ本番で演じさせました。一見、無謀に思えますが、安っぽい作られた「お芝居」ではない「本物のリアリティ」を求めての演出だったのです。

大島渚は、「ワンテイク主義は、僕の良いところと悪いところを象徴していると思います」と述懐していました。

松竹を退社した後の大島渚は、非常に厳しい経済条件での映画製作を強いられました。
独自の演出スタイルは「お金も無い、時間も無い」という状況で、いかに迫力とリアリティを実現するのか?という試行錯誤の中で、実践的に発見されていったものなのでしょう。

大島渚の演出とお金と時間を湯水のように使ったスタンリー・キューブリックの演出は、一番遠いように見えます。
しかし、演出で「作られたものではないリアリティ」を実現しようとする考え方において、実は非常に近いところにあったのではないかと思うのです。

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ワンテイクしか撮らなかった巨匠、大島渚」への1件のフィードバック

  1. woodyallen 投稿作成者

    現在の日本映画界で精力的に作品を発表している三池崇史監督は、「殺し屋1」で浅野忠信が明らかにセリフをど忘れしてしまったシーンを、そのまま使いました。
    これについて三池監督は「日常生活で言葉をトチるのは、よくある事でその方がリアル」「人生は一度しか演じられない」とコメントしたそうです。
    今、非常に人気のある某映画評論家は、これを三池崇史のオリジナルな考えとして紹介していましたが、三池監督は、大島渚の言葉を「引用」したんじゃないですかね?

    返信

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