1、アメリカの国民的コミック「PEANUTS」
この冬、チャールズ・M・シュルツによるアメリカの国民的コミック「PEANUTS」をCGで新たにアニメーション化した「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」が公開されました。
私は、子供の頃から「PEANUTS」の原作に並々ならぬ思い入れがあるのですが、宣伝のムードが原作のムードと少し違うので、いささか不安な面持ちで映画館に向かいました。
3D上映で観たのですが、あのフラットなキャラクターを、なかなか上手に3D化しています。内容については、宣伝で心配していたよりPEANUTSらしい作品で一安心しましたが、原作の上っ面を撫でたような物足りなさも感じてしまったのです。
Peanuts / gui.tavares
Charles Shultz, with Marion and Virginia Knott, circa 1983 / Orange County Archives
2、キャラクター人気だけの日本
米国の国民的コミック「PEANUTS」に登場するスヌーピーを始めとするキャラクターは日本でも人気で良く知られています。日本は特にキャラクターの人気が高く、「PEANUTS」のキャラクター商品市場は、日本がアメリカを凌ぎ、世界でも最大と言われています。
原作のコミックも、様々な出版社から何度も翻訳されているのですが、キャラクターのように定着しませんでした。ですから日本人は、「PEANUTS」がどんな内容なのか意外に知りません。読んだ方はご存知でしょうが、キャラクターの可愛さとは裏腹に、決して「明るく楽しい」だけのコミックではないのです。
大阪のユニバーサルスタジオ・ジャパンでは「PEANUTS」のアトラクションがあり、キャラクターの縫いぐるみがパレードしていますが、あれは日本のユニバーサルスタジオだけのものです。権利関係の問題もあるようですが、そももそも「PEANUTS」はキャラクターがミッキーマウスのように消費される明るいタイプのコミックとは少し違うのではないでしょうか。
日本人の多くは、原作のコミックの世界に触れることなく、そのキャラクターだけを「可愛い」ものとして消費しています。
その「無邪気な」光景に、私はどこか違和感を覚えてしまうのです。
3、子供が演じる「大人の世界」
「PEANUTS」は主人公のチャーリー・ブラウンを始めとする子供たちの日常を描いていますが、大人は一切登場しない、子供だけの世界です。
最初はキャラクターの可愛さに惹かれて読み始めたPEANUTSは、一見コミカルな「子供の世界」なのですが、奥に入ると、ニューロティックで個人主義的で、決して「ほのぼの」に着地しない、突き放したような諦念に満ちた「大人社会の縮図」でした。その「意外な暗さ」に、私はハマりました。
チャーリー・ブラウンは、心やさしいですが、内向的で運動神経もなく勉強もできない「負け犬」の少年です。でも、「PEANUTS」はチャーリー・ブラウンの成長物語というワケでもありません。彼はルーザーのままであり、ルーザーのまま、それなりに、でも臆することなく精一杯生きて行くのです。
よく「アメリカ人は能天気で単純で、日本人の方が繊細」なんていう紋切型の文化論がありますが、「PEANUTS」のような暗く繊細な作品がアメリカの『国民マンガ』だった事を考えると、その俗説はアヤシイものだと思います。
しかも、日本人は「PEANUTS」の表面しか見ようとしなかったのですから。
Peanuts Desk Calendar / Jim, the Photographer
4、大衆は薄味を好む
「PEANUTS」は今まで何度も映像化されて来ましたが、原作の世界を最も忠実に再現したのは、やはり原作者のチャールズ・M・シュルツも参加して、最初に作られた映画「スヌーピーとチャーリー」(1972)だと思います。
この作品は大ヒットし、続編が何本か作られました。その後、TVアニメーションも多く作られましたが、最初の頃は原作のビターな味わいを生かした作風でしたが、次第にシンプルな子供向けアニメになって行きます。やはり、アメリカにおいても「PEANUTS」の持つ「苦さ」は、大衆化の過程で薄められ、捨てられていったのです。
その意味で、「PEANUTS」の「甘い」表面しか見ようとしなかった日本人は「先進国」なのかもしれません。
アメリカでもアニメーションでしか「PEANUTS」を知らない若い世代には、ハートウォーミングな子供向けコミックだと思っている人が少なくないようです。ですから、本国のアメリカで作られたとはいえ、21世紀の新作「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」には一抹の不安を覚えていたのです。
5、21世紀の新作「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」
実際に観た「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」は、上手く原作のムードを掬い上げていましたが、どこか漂泊して毒気を抜いてしまっている感じもしました。
皆がチャーリー・ブラウンに優し過ぎますし、本当はスヌーピーもあんなに物分りの良い犬ではないのです。こんなに暖かい世界だったかな?というのが正直な感想です。
「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」で最も違和感があったのは、ハッピーエンドにしてしまったことです。あれは皮肉にひっくり返して欲しかった。「PEANUTS」にハッピーエンドは似合いません。たとえ惨めな結末でも「それでも人生はそんなに悪くないよ」と呟いてくれる“not bad”の世界なのです。
それでも「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」は、原作ファンに「あぁ、PEANUTSの世界だな」と、懐かしい気分を味あわせてくれます。しかし、原作の毒気を中和してしまったことで、初めて観た人を「こんな世界があったのか!」と魅了させるまでには、至っていない気がします。
6、蹴られなかったフットボールの影
映画の終わりに「チャーリー・ブラウンがルーシーの構えたフットボールを蹴ろうとして、直前にボールを外されて転んでしまう」お馴染みのルーティーン・ギャグが描かれるのですが、なんだか明るいムードなのです。しかし、原作では、これはもう少し苦いギャグです。
チャーリー・ブラウンは、毎年毎年、エイプリルフールになると、ルーシーにこの同じネタで騙され続けます。
チャーリーは「ルーシー!君は毎年同じネタじゃないか!もう騙されないぞ!」と言いながら、結局、言いくるめられて騙されてしまいます。
何度も何度も、性懲りもなくダマされる「善人」チャーリー・ブラウンの姿には、単に笑い飛ばしてすまされない影があるのです。
でも、その影を現代の観客は見たくないのかもしれません。日本でもアメリカでも。