甘くて苦い「PEANUTS」の味

1、アメリカの国民的コミック「PEANUTS」

この冬、チャールズ・M・シュルツによるアメリカの国民的コミック「PEANUTS」をCGで新たにアニメーション化した「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」が公開されました。
私は、子供の頃から「PEANUTS」の原作に並々ならぬ思い入れがあるのですが、宣伝のムードが原作のムードと少し違うので、いささか不安な面持ちで映画館に向かいました。

3D上映で観たのですが、あのフラットなキャラクターを、なかなか上手に3D化しています。内容については、宣伝で心配していたよりPEANUTSらしい作品で一安心しましたが、原作の上っ面を撫でたような物足りなさも感じてしまったのです。


Peanuts / gui.tavares

Charles Shultz, with Marion and Virginia Knott, circa 1983 / Orange County Archives
 

2、キャラクター人気だけの日本

米国の国民的コミック「PEANUTS」に登場するスヌーピーを始めとするキャラクターは日本でも人気で良く知られています。日本は特にキャラクターの人気が高く、「PEANUTS」のキャラクター商品市場は、日本がアメリカを凌ぎ、世界でも最大と言われています。

原作のコミックも、様々な出版社から何度も翻訳されているのですが、キャラクターのように定着しませんでした。ですから日本人は、「PEANUTS」がどんな内容なのか意外に知りません。読んだ方はご存知でしょうが、キャラクターの可愛さとは裏腹に、決して「明るく楽しい」だけのコミックではないのです。

大阪のユニバーサルスタジオ・ジャパンでは「PEANUTS」のアトラクションがあり、キャラクターの縫いぐるみがパレードしていますが、あれは日本のユニバーサルスタジオだけのものです。権利関係の問題もあるようですが、そももそも「PEANUTS」はキャラクターがミッキーマウスのように消費される明るいタイプのコミックとは少し違うのではないでしょうか。

日本人の多くは、原作のコミックの世界に触れることなく、そのキャラクターだけを「可愛い」ものとして消費しています。
その「無邪気な」光景に、私はどこか違和感を覚えてしまうのです。


SNOOPY FLYING ACE / bm.iphone

3、子供が演じる「大人の世界」

「PEANUTS」は主人公のチャーリー・ブラウンを始めとする子供たちの日常を描いていますが、大人は一切登場しない、子供だけの世界です。

最初はキャラクターの可愛さに惹かれて読み始めたPEANUTSは、一見コミカルな「子供の世界」なのですが、奥に入ると、ニューロティックで個人主義的で、決して「ほのぼの」に着地しない、突き放したような諦念に満ちた「大人社会の縮図」でした。その「意外な暗さ」に、私はハマりました。

チャーリー・ブラウンは、心やさしいですが、内向的で運動神経もなく勉強もできない「負け犬」の少年です。でも、「PEANUTS」はチャーリー・ブラウンの成長物語というワケでもありません。彼はルーザーのままであり、ルーザーのまま、それなりに、でも臆することなく精一杯生きて行くのです。

よく「アメリカ人は能天気で単純で、日本人の方が繊細」なんていう紋切型の文化論がありますが、「PEANUTS」のような暗く繊細な作品がアメリカの『国民マンガ』だった事を考えると、その俗説はアヤシイものだと思います。
しかも、日本人は「PEANUTS」の表面しか見ようとしなかったのですから。


Peanuts Desk Calendar / Jim, the Photographer

4、大衆は薄味を好む

「PEANUTS」は今まで何度も映像化されて来ましたが、原作の世界を最も忠実に再現したのは、やはり原作者のチャールズ・M・シュルツも参加して、最初に作られた映画「スヌーピーとチャーリー」(1972)だと思います。

この作品は大ヒットし、続編が何本か作られました。その後、TVアニメーションも多く作られましたが、最初の頃は原作のビターな味わいを生かした作風でしたが、次第にシンプルな子供向けアニメになって行きます。やはり、アメリカにおいても「PEANUTS」の持つ「苦さ」は、大衆化の過程で薄められ、捨てられていったのです。

その意味で、「PEANUTS」の「甘い」表面しか見ようとしなかった日本人は「先進国」なのかもしれません。

アメリカでもアニメーションでしか「PEANUTS」を知らない若い世代には、ハートウォーミングな子供向けコミックだと思っている人が少なくないようです。ですから、本国のアメリカで作られたとはいえ、21世紀の新作「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」には一抹の不安を覚えていたのです。

5、21世紀の新作「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」

実際に観た「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」は、上手く原作のムードを掬い上げていましたが、どこか漂泊して毒気を抜いてしまっている感じもしました。
皆がチャーリー・ブラウンに優し過ぎますし、本当はスヌーピーもあんなに物分りの良い犬ではないのです。こんなに暖かい世界だったかな?というのが正直な感想です。

「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」で最も違和感があったのは、ハッピーエンドにしてしまったことです。あれは皮肉にひっくり返して欲しかった。「PEANUTS」にハッピーエンドは似合いません。たとえ惨めな結末でも「それでも人生はそんなに悪くないよ」と呟いてくれる“not bad”の世界なのです。

それでも「I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE」は、原作ファンに「あぁ、PEANUTSの世界だな」と、懐かしい気分を味あわせてくれます。しかし、原作の毒気を中和してしまったことで、初めて観た人を「こんな世界があったのか!」と魅了させるまでには、至っていない気がします。

6、蹴られなかったフットボールの影

映画の終わりに「チャーリー・ブラウンがルーシーの構えたフットボールを蹴ろうとして、直前にボールを外されて転んでしまう」お馴染みのルーティーン・ギャグが描かれるのですが、なんだか明るいムードなのです。しかし、原作では、これはもう少し苦いギャグです。
チャーリー・ブラウンは、毎年毎年、エイプリルフールになると、ルーシーにこの同じネタで騙され続けます。

チャーリーは「ルーシー!君は毎年同じネタじゃないか!もう騙されないぞ!」と言いながら、結局、言いくるめられて騙されてしまいます。
何度も何度も、性懲りもなくダマされる「善人」チャーリー・ブラウンの姿には、単に笑い飛ばしてすまされない影があるのです。

でも、その影を現代の観客は見たくないのかもしれません。日本でもアメリカでも。

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フレンチ・キスはノルウェイの森の中で ②

1、余りの大ベストセラーに引いてしまった「ノルウェイの森」

村上春樹が1987年に発表した小説「ノルウェイの森」は、累計で1000万部を超える、純文学としては考えられない大ベストセラーとなりましたので、読まれた方も多いと思います。
当時は、「ノルウェイの森」の大ヒットに煽られて、時ならぬ「恋愛小説ブーム」が訪れ、村上春樹自身が手がけた印象的な装丁をマネした恋愛小説が、山のように出版されました。

しかし、私は余りの大ブームにかえって引いてしまい、ブーム当時は読む事を避けていました。「ノルウェイの森」は「純愛小説」と宣伝されていましたが、私はあまり「純愛小説」に興味がなかったし、「純愛小説に『ノルウェイの森』ってタイトルは、おかしいのではないか?」とも考えていたのです。
(なぜ、おかしいと思ったのかは、これからお話します)

しかし、ブームが過ぎ去ってしばらくたってから、ふと手に取ってみた「ノルウェイの森」は、私の先入観を超えた優れた小説でした。

2、純愛小説?「ノルウェイの森」

実際に読んでみると、「ノルウェイの森」は、いわゆる「純愛小説」とは、ちょっと違った苦い小説でした。そして「ノルウェイの森」というタイトルは、その内容を見事に象徴していたのです。

村上春樹の「ノルウェイの森」は、「暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた」という37歳の「僕」の印象的な語りから始まり、主人公と、自殺した友人の恋人で心を病んでいる直子との関係が回想されて行きます。

村上春樹の、この小説では、題名となったビートルズの「ノルウェイの森」が、主人公と直子の思い出に結びついています。そしてこの題名は、同時に、実は一筋縄でいかないこの物語を、皮肉に象徴しているのです。


Beech woods in summer / wallygrom
 
25th Ickworth Wood & Craft Fair 2014 / Dave Catchpole

3、ビートルズの「ノルウェイの森」の真実

ビートルズが1965年に発表した名曲「ノルウェイの森」は原題が「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」で、これが誤訳であるのは、今では有名な話です。森ならwoodsのはずで、Norwegian Woodは「ノルウェイ産の木材」という意味になり、部屋の内装や家具に使われる安っぽい木材のことだそうです。
今の日本に合わせて「超訳」すれば「ニトリの家具でいっぱいの部屋」みたいな感じのタイトルでしょうか。

歌詞は、ジョン・レノンが妻に隠れて浮気をした経験が基になっていて、「仲良くなった女の子の部屋に行ったらNorwegian Woodの安っぽい内装だった。ヤラせてくれるかと思ったら、彼女は『明日、仕事が早いのよ』と先に寝てしまい、俺は風呂場で寝ることになった。朝、起きたら彼女はもう出かけていたので、部屋に火を付けてやった。ノルウェイ産の木材は良く燃えるね」といった、ヒドイ内容なのです。

日本では、「ノルウェイの森」という邦題と優しいメロディのせいで、ラブソングのように聴かれて来ましたが、実際にはトンデモナイ歌だったのです。

4、「ノルウェイの森」というアイロニー

翻訳家でもある村上春樹は、当然、この「『ノルウェイの森』の誤解」について良くわかった上で、小説の題名にしています。
村上春樹は、明確に語ってはいませんが、これは単にノスタルジーを喚起するために、当時のビートルズの名曲を題名に付けたワケではなく、明らかに「『ノルウェイの森』についての誤解」というアイロニーに、小説の内容を象徴させているのです。

自殺した友人の恋人で精神を病んでしまった直子と再会した主人公は、何とか彼女の心に近づき、救いたいと考えますが、結局それは叶いません。表面的には、二人の「悲恋」を描いているように見えながら、最後まで、二人の心は全くシンクロせず、すれ違ったままなのです。

それは、残酷な滑稽さでもあります。「若者のエゴ」を歌った曲である「Norwegian Wood」が「甘いラブソング」だと思い込まれていたように。

5、大衆は、フレンチ・キスをノルウェイの森で交わす

「ノルウェイの森」は「100パーセントの恋愛小説」というキャッチコピーで発売されましたが、村上春樹によると、本当は「100パーセントのリアリズム小説」というコピーだったそうです。
この作品は、人に対する想いの「断絶と喪失」というシリアスで重いテーマを、恋愛小説という甘い包装紙で包んだことによって、社会現象を起こすまでの大ベストセラーになりました。

「ノルウェイの森」は意識して作られたベストセラーではありませんが、「シリアスなテーマを大衆的なラッピングで提供する」という方法論は、AKB48という良くも悪くも日本中を巻き込むムーブメントを起こした秋元康が、「フレンチ・キス」という清純派アイドルのユニット名の背後に「ディープキス」というエロティックなイメージを忍び込ませた戦略と、通じるものを感じさせます。

「大衆にブームを起こす秘密」は、この辺りに隠れているのかもしれませんね。

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フレンチ・キスはノルウェイの森の中で ①

1、『フレンチ・キス』解散のニュース

今朝、インターネットでニュースを見ていたら、「『フレンチ・キス』が11月に解散コンサート」というニュースを見かけました。『フレンチ・キス』は、AKB48のメンバー柏木由紀、高城亜樹、倉持明日香の三人で2010年に結成された派生ユニットです。

プロデューサーの秋元康によると「AKB48のユニットの中でも、最も女の子らしい清純派の3人組」だそうで(最近、何かスキャンダルがあった気もしますが…)、「親に紹介したい3人組」というキャッチフレーズで売り出され、6枚のシングルをリリースしています。
この8月に、メンバーの一人である倉持明日香(元ロッテのプロ野球選手で「炎のストッパー」として有名だった、倉持投手のお嬢さんです)が、スポーツキャスターを目指すためにAKBを卒業したのを機に、解散することになったようです。

2、フレンチ・キスは「軽いキス」?

私は、「親に紹介したい3人組」というキャッチフレーズと共に、『フレンチ・キス』というグループ名を聞いた時は、ちょっとビックリしました。フレンチキスとは舌を絡め合うディープキスのことですから、ずいぶん大胆な名前だし、「親に紹介したい3人組」というキャッチフレーズには合っていないのでは?と思ったからです。
ところが、TVの歌番組に出演した彼女たちは、フレンチキスの意味を聞かれて「唇を触れ合わせるだけの、軽いキスのこと」だと説明していたのです。

私は知らなかったのですが、日本の少女マンガや女性雑誌では、フレンチキスという言葉が「軽いキス」の意味で使われていたのですね。
「フレンチキス」という表現は、フランスと対立していた頃のイギリス人が、ディープキスを「フランス人が好む様な下品なキス」という揶揄を込めて「フレンチキス」と呼んだ事が始まりだと言われていますが、日本では「フレンチ」という語感から、逆の意味に使われるようになってしまったのでしょう。
(「米語にはフレンチキスに軽いキスの意味がある」という説があるようですが、メグ・ライアン主演のアメリカ映画『フレンチ・キス』を観ても、ディープキスの意味で使われていますね)

3、アイロニーとしての「フレンチ・キス」

AKB48のプロデューサーでもある秋元康はクレバーな人物ですから、「フレンチキスという言葉が、日本では本来の意味とは逆の可愛い意味で使われている」という皮肉な状況を十分理解した上で、あえて、『フレンチ・キス』というグループ名を付けたのではないかと思います。
「表面的に清純な『お嬢様』に見えても、女の子はそれだけじゃないよ」というアイロニーを込めているのではないでしょうか?


A kiss / DenisDenis
 
An enthusiastic kiss / pedrosimoes7

以前、『フレンチ・キス』のメンバーが外国旅行をする旅番組があったのですが、彼女たちが旅先で、外国の人に、自分達のグループ名を「フレンチ・キスです」と名乗っているのを観て、私はドキドキしてしまいました。今思うと、まんまと秋元康の戦略に乗せられていたのでしょう。

4、フレンチ・キスからノルウェイの森へ

このフレンチ・キスように、外国の言葉や概念が、日本では、本来の意味とは違うイメージで流通してしまっている事は、時々あります。

私が「フレンチ・キスの勘違い」について、お話しようと思ったのは、このような「本来の意味と日本での解釈のズレ」を、見事に象徴させている作品があるからなのです。
それは、村上春樹の大ベストセラー小説「ノルウェイの森」です。

次回は、そのお話をしたいと思います。

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ドキュメンタリーとアニメの間(長まわしへの誘惑 ③)

1、フランケンシュタイン・エディティング

ハリウッド映画で初めて「一本の映画をワン・カットで撮る」という冒険に挑んだのは、「編集の名人」アルフレッド・ヒッチコックでした。ヒッチコックは、ストーリーに沿って映画を撮ることをせず、一見、無意味な細かいカットをレゴのように組み合わせて映画を編集するので「フランケンシュタイン・エディティング」と呼ばれていました。

イギリスからハリウッドに渡ったヒッチコックが、細かいカットの積み重ねを多用したのは、「編集によって映画の表現を創り出したい」という芸術的欲求と同時に、「ハリウッドのプロデューサーから映画の編集権を守る」という目的がありました。
細かいカットを、敢えてバラバラに撮影することによって、自分以外に編集が出来ないようにしていたのです。


Alfred Hitchcock / classic film scans

2、自由を求めて

長回し撮影はカットを割らず、話の流れが分かりやすいので、プロデューサーに好きなように編集されてしまいます。雇われ監督時代のヒッチコックには、長回し撮影をしたくても出来ない事情があった訳です。
1948年公開の「ロープ」は、ヒッチコックが初めて、自らプロデューサーも務めた映画でした。彼は、ついにハリウッドで最終編集権を手にしたのです。

そして、誰にも編集に口を出される心配が無く自由に撮れるようになった時に、細かい編集をしない長回し撮影で「映画全編をワン・カットで撮る」という冒険に挑戦したくなったのではないでしょうか?

しかし、それは本来ヒッチコックが考えていた、編集による映画のダイナミズムとは相容れなかったのです。
ヒッチコックは「ロープ」を撮った後は、また「編集の映画」に戻って行きました。


Alfred Hitchcock / twm1340

3、長回し撮影は先祖返り

最近、映画に長回し撮影が多用され、それが持て囃される傾向が出て来ています。
これは、一種の「先祖返り」でしょう。

長回し撮影には作り物感がなく、ドキュメンタリー的な効果がありますが、それは、映画の一番原初的な撮り方だからでもあります。映画が発明されて、最初に作られた映画は、ただカメラを置いて、迫って来る汽車を撮っているだけで「カット割り」などありませんでした。
映画の進歩は編集の進歩でもあったのです。


B&W Somerset Steam – 3205 / Sir Hectimere

そして、映画の歴史と共に映画のカットは細かくなり、編集のテンポはどんどん速くなります。さらに、CGが発達し多用されることと相まって、近年は、実写映画がまるでアニメーションのようになって来ました。


iceIh / vitroid

squared circle ~ 2601 squared circles / striatic

4、映画はアニメーション?

実写映画がアニメーションに近づくのは、映画の進化の必然なのかもしれません。

アニメーション作家の高畑勲は「1秒間に24枚の連続写真で『動き』を表現する実写映画は、もともとアニメーションの原理(要するに、パラパラ漫画)で出来ている。つまり、アニメーションが映画の一分野なのではなく、実写映画こそがアニメーションの一分野なのだ」と述べています。

しかし、実写映画がアニメーションに近づいた結果、スピードと情報量は増しましたが、どこかリアリティが無くなってしまいました。観客も激しい編集になれてしまって、次第に感覚が麻痺してしまっています。
そこで、反動として、映画の一番初めの形である「長回し」に戻ろう、とする動きが出ているのでしょう。

 

5、ドキュメンタリーとアニメーションの間

しかし、長回し撮影にはリスクもあります。「カットを割らない」ということは、「モンタージュによる表現」という映画の武器を棄てることでもあります。
効果的に使われる長回し撮影は映画の緊張感を高めますが、工夫のない長回しの多用は、「映画を知らない素人が、ただカメラを回している」のと同じで、単調なものになってしまうのです。

理想的な映画とは、長回し撮影によるドキュメンタリー的な迫力と、アニメーション的な編集による表現の間にあるのかもしれません。

トリュフォー「一本の映画をまるまるワン・カットでつなげて撮ってみたいという夢想を抱かなかった監督はいないと思います。しかしながら、やはり、これは世界のあらゆる偉大な映画監督の仕事を分析しても明らかなことですが、結局はD・Wグリフィス以来の古典的なカット割りこそ最も映画的な真髄なのだ、というところに立ち戻るのではないでしょうか」

ヒッチコック「文句なしにその通りだと思う。カット割りこそ映画の基本だ」

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長回し撮影への誘惑 ②

1、夢の映画

アルフレッド・ヒッチコック
「なぜあんな綱渡りみたいな芸当をやろうとしたのか、自分でもよくわからない」

フランソワ・トリュフォー
「およそ映画を作る人間ならば誰もが生涯に一度は必ずやってみようと思う夢の企画、夢の映画ではないかと思うのです」

今年度のアカデミー賞撮影賞に輝いた「バードマン」が採用した「一本の映画を全編ワン・カットで描く」という手法に、映画史上で初めて挑んだのは、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックがジェームズ・スチュアート主演で1948年作った「ロープ」という作品です。


James Stewart / twm1340

2、ヒッチコックの「ロープ」

「ロープ」は1924年に実際に起きた殺人事件をモデルにした舞台劇の映画化です。
ニーチェの超人思想にかぶれた二人の青年が「自分たちの優秀さを証明するために」動機なき殺人を実行します。さらに青年たちは「自分たちが人とは違う」優越感を味わうために、死体を隠した高層マンションの部屋に被害者の家族や恩師の大学教授を招き、パーティを催すのです。やがて、ジェームズ・スチュアートが演じる大学教授は、自分の教えを歪んで受け止めた元生徒たちが、恐ろしい罪を犯したことに気が付いて行きます。

「ロープ」の原作は、パーティにおける90分の出来事をちょうど90分の舞台劇にしていて、ドラマの中の時間と現実の時間が一致するスタイルを採っています。

「舞台の方は物語の実際の時間と同じようにドラマが進行する。つまり、幕が上がってから下りるまでの連続した話である訳だ。これを全く同じ方法で映画に撮る事が技術的に可能だろうかという問いを私はあえて自分に課してみた」

3、史上初の長回し撮影

そこで、アルフレッド・ヒッチコックは、「舞台をそのまま映画に置き換える」ことにしました。つまり、90分の作品全編を一つの連続したカットで撮影するという、映画史上初の長回し撮影にチャレンジしたのです。

もっとも、当時のキャメラのマガジンに入るフィルムの長さは最長10分でしたから、本当にワン・カットで撮影できたのは10分間だけで、次の10分間とのつなぎ目は人物の背中を通したりして、一本の映画が完全にワン・カットであるかのように見せていました。

それでも、この前例のない撮影は困難を極めました。とにかく撮影の段取りが複雑だし、にも関わらずミスが許されません。ミスしたら「最初からやり直し」なのです!

「撮影がはじまってから4,5日後に、じつはキャメラマンが<病気>と称して逃げてしまった」

トリュフォー「ヨーロッパでは、パリでは、とてもありえない撮影ですね」
ヒッチコック「ハリウッドでも同じだよ!」


01.17.08 / H.L.I.T.

4、失敗?

「ロープ」は批評的にも興行的にも、まずまずの成功を収めました。
和やかなはずのパーティの中で、主人公の大学教授が教え子たちの恐るべき犯罪に直面するドラマは、全編に緊張感が持続していて、今観ても面白い作品です。しかし、高層アパートの一室に限定され、アクションもなく会話だけで進行してゆくので、少し窮屈でおとなしい印象も否めません。


From the 31st Floor of the Empire State Building, NYC / Jeffrey

ヒッチコック自身は後に、全編ワン・カット撮影に挑んだこの作品を、失敗だったと断じています。

「いまふりかえって考えてみると、ますます、無意味な狂ったアイデアだったという気がしてくるね。というのも、あのようなワン・カット撮影を強行することは、とりもなおさず、ストーリーを真に視覚的に語る秘訣はカット割りとモンタージュにこそある、という私自身の方法論を否定することに他ならなかったからなんだよ」

ヒッチコックは、本来は細かいカットを積み重ねて映画のサスペンスを生みだすのが得意で「編集こそ映画だ」と考えている監督でした。
それなのに、なぜ「一本の映画をまるまるワン・カットで撮る」という、自分の得意なスタイルと真逆の映画に挑んだのでしょう?

次回「長回し撮影への誘惑」最終回で、そのお話をしたいと思います。

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長回し撮影への誘惑 ①

1、エマニュエル・ルベツキ、2年連続のアカデミー撮影賞受賞

2月23日に今年の米国アカデミー賞が発表されましたが、かつて「バットマン」の主役だったマイケル・キートンが、「落ち目の元スーパーヒーロー役者が中年になって再起を賭ける」姿を演じて見せた『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』が、作品賞を始め4部門で受賞しました。
アカデミー撮影賞は「バードマン」の撮影監督のエマニュエル・ルベツキが受賞しましたが、これは昨年の「ゼロ・グラビティ」に続いて2年連続の受賞となっています。


Michael Keaton / Gage Skidmore

「バードマン」が撮影賞を受賞した理由は、その徹底した長回し撮影にありました。ルベツキは元々長回しが得意な撮影監督です。
「長回し」とは映画の撮影技法のひとつで、シーンをカットで切らないで、長時間にわたって連続撮影をする手法なのです。

2、徹底した長回し撮影

映画では、例えば「食卓での会話」や「公園での追っかけ」などの一つのシーンの中で何度もカットを割ります。一つのシーンを色々な角度から何度も撮って、編集にっよてつなぎ合わせて一つのシーンにする訳です。
一つのシーンは通常数分間続きますが、その中でワンカットの時間は10秒以内であるのが普通です。
しかし、長回しの場合は、このワンシーンをカットを割らずに撮影しますので「ワンシーン・ワンカット」と表現されます。そして、ルベツキの長回し撮影は、そのワンシーンがとてつもなく長いのです。

撮影監督エマニュエル・ルベツキは、2006年公開の、人類に子供が生まれなくなってしまった近未来を描いた「トゥモロー・ワールド」で、最長で6分を超える驚くべき長回し撮影を多用して注目され、昨年の「ゼロ・グラビティ」では、なんと17分間の長回しで、宇宙空間にたった一人放り出された主人公のサバイバルを息詰まるような緊張感で描き、見事アカデミー賞を受賞しました。

そして、今年度の「バードマン」では、主人公の1週間の出来事を2時間で描いた映画一本全部をワンカットで撮影するという離れ業を演じて、昨年に続くアカデミー賞を受賞したのです。

 

3、長回し撮影の効果

長回し撮影は、通常の撮影に比べて、撮影現場での負担が非常に大きくなります。連続したシーンを撮影している間、撮影の段取りにミスは許されませんし、俳優もセリフと動きを完璧に覚えていなければなりません。途中で誰かが間違えたら最初からやり直しになるのです。
監督から「このシーン、ワンカットで行くよ」という声が発せられると、撮影現場には張りつめたような緊張感が走ります。

そのような労力をかけて行う「長回し」にどんな効果があるのでしょうか?

私たちが普段暮らしている時に、目の前の景色の「カットが切り替わる」ことなどありません。当たり前の話しです。ですから、映画を観ていてカットが切り替わると、「私たちは今、映画という作りものを見ている」と意識させてしまう側面があります。

ところが長回しは、カットを割らずに演技を「写し続ける」ことによって、観客にまるで「現実にその場に立ち会っている」かのような緊張感を持続させることが出来ます。
「作り物」感が減ってドキュメンタリーのようになるのです。

4、「カット割り」はごまかしのテクニック?

近年、映画の中のダンスシーンやアクションシーンを見ていると、カットが細かすぎて何が起こっているのか良くわからず、フラストレーションが溜まることがあります。

本来、実力のある俳優が吹き替えなしでアクション・シーンやダンス・シーンを演じる場合には、カットを割らず、長回しでじっくり見せる方が、迫力が出るのです。

往年のMGMミュージカルの中心的スターで、史上最高のタップダンサーと言っても良いフレッド・アステアは、自分のダンス・シーンを撮影する時にカットを割ることを許しませんでした。アステアは、ダンスを丸ごとスクリーンに映し出し、観客が生で自分のダンスを見ている気分にさせることこそが、何よりもエンタテインメントだ、と考えていたのです。


fred astaire 1937 – by ernest bachrach / danceonair1986

18fbqw / danceonair1986

むしろ、伝統的な映画演出では、細かくカットを割るのは、アクションやダンスが「出来ない人」をごまかして見せるためのテクニックだったのです。

 

5、長回しは時代への反逆

ところが現在では、短いカットを素早く連続させることが画面の情報量や躍動感を増す、という考え方が主流で、ワンカットの時間はどんどん短くなっています。CGの発達と普及がそれに拍車をかけ、今では、実写映画がまるでアニメーションのようになってしまった、とも言えます。

なぜ、ルベツキの超長回し撮影がもてはやされているのかというと、映画表現のトレンドが非常に短いカットを積み重ねるスタイルになり過ぎている事への、反動ではないかと思うのです。

ところで、「一本の映画を丸々ワンカットで撮る」手法を採用したのは「バードマン」が最初ではありません。
実はこの挑戦に初めて挑んだのは、サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックだったのです。

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エヴァンズとコッポラ、「ゴッドファーザー」を巡るプロデューサーと監督のドラマ ②

1、これは「予告編」にすぎない

ロバート・エヴァンズが、「ゴッドファーザー」にフランシス・フォード・コッポラという無名の若手監督の起用したことに映画会社は大反対で、撮影が始まってからも盛んに横やりが入りました。
「あの若造を早くクビにしろ、マフィア物の映画なのに『一族の年代記にしたい』とか、トンデモナイことを言っているぞ!」


Francis Ford Coppola / FICG.mx

コッポラは、「ゴッドファーザー」の撮影中に自分は何度もクビになりかけた、と回想しています。しかし、ロバート・エヴァンズは、それまでに上がっていたラッシュ・フィルムの出来を見てその才能を確信していたので、コッポラを守り抜きました。

ところが、撮影終了後にコッポラが持ってきたフィルムを観て、エヴァンズは驚きました。それは、約2時間に編集された「普通の」マフィア映画だったのです。

エヴァンズ「これはどういうことだ?」
コッポラ「映画会社に2時間にしろと言われたんです。それに、観客に解かりやすくしないと」
エヴァンズ「こんなモノは、私が知っている『ゴッドファーザー』の予告編にすぎない」「一族の年代記にするんじゃなかったのか?いいシーンをみんな捨てちまったじゃないか!」

それから、エヴァンズはコッポラを連れて編集室にこもり、イタリアン・マフィア一族の盛衰をゆったりしたテンポで描く3時間のドラマを作り上げたのです。


2、大いなる成功

「ゴッドファーザー」は公開されると当時の興行記録を塗り替える大ヒットになり、その年のアカデミー賞における作品賞・主演男優賞・脚色賞を受賞する大成功となりました。
アメリカにおけるイタリアン・マフィアの抗争を、光と影を強調した美しい映像とヨーロッパ映画のような重厚なタッチで描いた「ゴッドファーザー」は、まさに革命といって良いほどの影響を後の映画に与えましたが、この時、雇われ監督だったコッポラに最終編集権はありませんでした。

「ゴッドファーザー」の続編「ゴッドファーザーPARTⅡ」はさらに大きな成功を収めます。

「ゴッドファーザーPARTⅡ」はアメリカに移民として来て、マフィア組織を創り上げてゆく父ヴィトー・コルレオーネの若き日と、マフィア組織を継いだ息子マイケル・コルレオーネの苦悩の日々という、二つの時代を行きつ戻りつしながら描く複雑な構成になっています。
貧しくも希望に満ちた「過去」と空虚な豊かさに沈む「現在」が交差する語り口により、現代社会でマフィア組織を維持するために心を失って行く主人公の孤独が、くっきりと浮かび上がって来るのです。

「ゴッドファーザーPARTⅡ」はコッポラの最高傑作と考えられていますが、それはこの語り口に負うところが大きく、後の多くの作品に影響を与えました。


Il padrino e il suo picciotto / batrax

Godfather Part II house, Lake Tahoe / the_tahoe_guy

3、再編集へのこだわり

しかし、「ゴッドファーザーPARTⅡ」を二つの時代を並行して描く構成にしたのは、コッポラではなく編集者でした。「ゴッドファーザー」の世界的な大成功の後にも関わらず、当時のコッポラには、未だに最終編集権が無かったのです。

コッポラは、編集者の仕事には敬意を払うがあれは私の望む内容ではなかった、として再編集を試みます。1977年に、1作目と2作目を「過去から現在へ」の一直線の物語に構成し直した「ゴッドファーザー・サガ」を発表し、1981年には、さらに未公開シーンを加えて再編集した「ゴッドファーザー/特別完全版」を発表します。

コッポラが、自身の最大の成功作であるゴッドファーザーの1作目と2作目に何度も手を加えようとするのは、どちらも自分が編集の主導権を握れなかったこと、そしてその編集こそが作品を成功に導いた事実と、無関係ではないでしょう。

しかし、コッポラによる再編集版は、やはり劇場版「ゴッドファーザーPARTⅡ」の過去と現在が錯綜する、時を揺蕩う様な世界には及ばないと思うのです。

4、「コットン・クラブ」

プロデューサーのロバート・エヴァンズは、1984年の「コットン・クラブ」(The Cotton Club)で再びフランシス・フォード・コッポラと組みます。禁酒法時代のニューヨークに実在した名高い高級ナイトクラブ「コットン・クラブ」を舞台に、マフィアの抗争とショウビジネスの世界を描いたドラマです。

Cotton Club / daspunkt

Shanghai day 11, Cotton Club / decade_null

コッポラが再び実録マフィア物をテーマに、オールスターキャストの大作を手掛ける!というニュースは、大きな期待をもって迎えられました。
しかし、残念ながら、「コットン・クラブ」は批評的にも興行的にも成功とは言えませんでした。

コッポラは「ディテールの天才」と言われるほど細部に拘る監督で、「コットン・クラブ」でも、時代や風俗の描写などのディテールの見事さは、当時を知る人ほど高く評価していました。しかし、ストーリーの語り口に「ゴッドファーザー」のようなコクと味わいが無く、全体としては物足りない平板なドラマになっていたのです。

5、コッポラへの手紙

実在のマフィアに関わる内容を扱った「コットン・クラブ」の制作過程にはトラブルが多発しました。そして、ついには本物のマフィアの殺人事件まで発生してしまいます。プロデューサーのロバート・エヴァンズは、それに巻き込まれて裁判の当事者となり、最終段階で制作から外されてしまっていたのです。


Francis Ford Coppola / G155

「コットン・クラブ」は、コッポラによって2時間の完成品に編集されました。
公開前に完成品を観たロバート・エヴァンズは、撮影された素晴らしいディテールのほとんどがカットされていることにショックを受け、コッポラに長い手紙を書きました。

君の撮った最高のシーンは編集室の床に捨てられている。「ゴッドファーザー」の時と同じ様にまた二人で一緒に再編集をしよう。そうすれば「コットン・クラブ」は「ゴッドファーザー」を超える君の最高傑作になるんだ、と。

しかし、コッポラからロバート・エヴァンズに返事が来ることありませんでした。

エヴァンズは当時、未だマフィアの殺人に関わった疑いを持たれて裁判中でしたから、コッポラも連絡を取る訳には行かなかったでしょう。それに、すでに巨匠となったコッポラは、プロデューサーに編集を奪われるのが我慢できなかったはずです。

「コットン・クラブ」を境に、ロバート・エヴァンズはハリウッドの第一線から退いて行きます。
しかし、一映画ファンとして「ロバート・エヴァンズが編集した『コットン・クラブ』」は、ぜひ観てみたかったと思うのです。

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エヴァンズとコッポラ、「ゴッドファーザー」を巡るプロデューサーと監督のドラマ ①

1、ハリウッド・プロデューサーはもう居ない

「ハリウッドの映画プロデューサー」と言った時に、私たちにはステレオタイプなイメージがあります。派手なスーツを着た成金で、下品だけれど口が上手く、女優を口説いて監督に無理難題を吹っ掛ける。しかし、現在のハリウッドにはもう、そんなプロデューサーは居ません。居るのは、ハーバード・ビジネススクールを出てウォール街でキャリアを積んだビジネスマンばかりです。

彼らが関心を持つのは映画そのものではなく、それが生み出す利益であり、マーケティングと会議で映画を作ります。その結果、「すでにデータが存在する」過去のヒット作のリメイクやコミックの映画化ばかりが蔓延し、未だ海のモノとも山のモノともつかない、新しい挑戦的な企画は映画化されにくくなりました。

しかし、かつてのハリウッドには、私たちのイメージ通りのプロデューサーが確かに存在したのです。


Hollywood / Marcus Vegas

The New York Stock Exchange / epicharmus

2、ロバート・エヴァンズ

1930年生まれのロバート・エヴァンズは、そんなプロデューサーらしいプロデューサーの一人です。

元売れない二枚目俳優からプロデューサーになった人ですが、むしろ元ジゴロといった雰囲気で、数々の女優たちと浮名を流しました。政界や財界、さらに暗黒街ともコネクションを持ち、スターや監督たちの上に君臨し権力を行使する、まさに私たちのイメージするハリウッド・プロデューサーそのものなのです。

しかし、彼が「イメージの中のハリウッド・プロデューサー」と少し違うのは、人間的にはともかく、映画については確かな目と情熱を持った本物のプロデューサーだったことです。

彼は、ニューシネマ全盛だった1970年代のハリウッドに、オールドハリウッドを現代的にバージョンアップした新しいエンタテインメントの形を示し、倒産寸前だったパラマウント・ピクチャーズを見事に復活させたのです。

彼の手掛けた、「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)は70年代ホラー・ブームの、「チャイナタウン」(1974年)はネオ・ハードボイルドの、そして「ブラックサンデー」(1977年)は刑事対テロリストによるアクション物の、それぞれ先駆けとなるエポック・メイキングな作品でした。

Johnson's Baby Oil Ad, Featuring Ingenue Actress & Model Ali MacGraw, 1971

3、「ある愛の詩」は公私混同

1970年の「ある愛の詩」(Love Story)は、当時ロバート・エヴァンズの3番目の妻だったデビューしたばかりの女優、アリ・マッグローを「スターにするためだけ」に作った映画でした。

アリ・マッグローを引き立たせるため、金持ちの青年と貧しい白血病の女性との悲恋の物語という、すでに時代遅れに思われていた「難病もの」を、現代的な装いで、あえて真正面から描いたのです。
アカデミー賞を受賞したフランシス・レイの流麗な音楽と「愛とは決して後悔しないこと」という名セリフが大流行して世界的ヒットになり、その後、世界中で延々とつくられる「難病もの」のルーツになったと言って良い作品です。

「ある愛の詩」はいわゆる「メディアミックス」のパイオニア的作品でもありました。原作小説と映画がほぼ同時期にリリースされ、大宣伝の展開と相乗効果によって小説・映画共に大成功を収めたのです。

「自分の彼女を売り出すため」という思いっきり公私混同で作った作品が、映画史におけるターニングポイントの一つになってしまうのが、ロバート・エヴァンズというプロデューサーの一筋縄でいかないところです。

ところで、アリ・マッグローは「ある愛の詩」で見事にスターの階段を駆け上り、当時最大のスターだった、スティーヴ・マックイーン主演「ゲッタウェイ」の相手役を射止めます。そして、アリ・マッグローは、共演したスティーヴ・マックイーンと激しい恋に落ち、エヴァンズを棄てて駆け落ちしてしまったのです。


Steve McQueen / twm1340

ロバート・エヴァンズは恋多き男でしたが、自分がスターにしたせいで、結果的にアリ・マッグローを失ってしまったことを、ずっと悔いていました。

4、ゴッドファーザーはイタリアンに限る?

エポック・メイキングという意味でも、興行や評価における成功においても、ロバート・エヴァンズの手がけた最大の作品は「ゴッドファーザー」(1972年)でしょう。

1969年に発表され全米ベストセラーとなった、イタリアン・マフィアの世界を描いた小説「ゴッドファーザー」の映画化権を取得したロバート・エヴァンズは、監督にはイタリア系を起用しようと決めていました。

ユダヤ人のタイクーンたちによって創られたハリウッド映画界は圧倒的にユダヤ系が多く、それまでのマフィア映画は全てユダヤ系の監督によって作られていました。エヴァンズは、イタリア系でなければこの小説のリアリティを映像化することは出来ないと考えていたのです。

しかし、イタリア系の監督たちは現実のマフィアをモデルにした映画に関わることを嫌がり、ことごとく断られてしまいます。
結局、監督のオファーを引き受けてくれたイタリア系は、フランシス・フォード・コッポラという名の、メジャーでは3作しか撮っておらず、しかもまだ一本も成功したことが無い、30歳の若手監督だけだったのです。

 

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ディレクターズカットは映画の退廃? ②

1、テレビの映画はカットが常識

私が子供の頃、テレビで映画が放映される時は、かなりカットされるのが普通でした。各曜日のゴールデンタイムには、淀川長治が解説を務めた「日曜ロードショー」等の、洋画を放映する2時間の番組がありました。2時間の番組といってもCMを除くと映画の放映時間は実質90分でしたから、2時間の映画であれば30分くらいカットされてしまいます。

四分の一もカットされるのですからヒドイ話しで、ミステリー映画なんかだと大事な伏線がカットされてしまってワケが分からなくなったり、逆に妙に単純になってしまったりしたのですが、それでもたくさんの映画をわくわくしながら観たものです。

それら、TVの短縮版で出会った映画たちには、後に大人になってからビデオやDVDなどで、完全な姿に再会しました。

その時、大抵は「こういう話だったのか!」と満足したのですが、逆にガッカリした場合もあったのです。

Silent Movie / mikecogh

TV Shows We Used To Watch – Christmas 1959 / brizzle born and bred

2、記憶の中の映画

子供の頃にテレビで出会った映画を完全な姿でもう一度観た時、カットされていたシーンが復元されているのでストーリーのつながりには納得するのですが、「なんだ、こんなものだったのか…」という物足りなさを感じてしまうことが、時々あるのです。欠落していた部分は、自分のイメージでは、もっと鮮烈で、もっとダイナミックな筈だったのです。

映画は編集による「連結」と「省略」の芸術です。人は映画の中に「描かれなかった」時間と世界を想像します。そして、その想像によって補完された部分を含めて、ひとつの作品として記憶されるのです。

「記憶の中の映画」の存在が大きければ大きいほど、想像していた部分が違った形で「描かれてしまう」ことによって、失望してしまう場合があるのです。
「想像」は無限に広がりますが、描いてしまえば「ただそれだけのモノ」になってしまうからです。

劇場公開時に感動していた映画の「ディレクターズカット」を観るときに、私はいつも、この体験を思い出すのです。

3、ディレクターズカットは退廃?

機動戦士ガンダム・シリーズの監督、富野由悠季は、私の尊敬するクリエイターの一人ですが、彼は、DVDの発売時にディレクターズカットを作成したりするのは「映画の退廃」を招くから止めるべきだ、と主張していました。


Yoshiyuki Tomino – 17 / Steve Nagata

Tomino Yoshiyuki “The World of Gundam” at Opening Ceremony of the 28th Tokyo International Film Festival / Dick Thomas Johnson

これは、富野由悠季自身の経験から出た言葉でした。

富野由悠季監督によるアニメーション映画「機動戦士ガンダムF91」(1991年)は、制作スケジュールが遅れ、劇場公開までに作画が間に合わない事が判明しました。そのため、予定していたシーンの大幅なカットを余儀なくさたのです。これは、富野由悠季にとっては辛い決断でした。そして、カットされたシーンは、DVD発売時に作画され、無事に完全版として復活しました。

ところが、富野由悠季は自分の意図通りに出来た筈の「完全版」が緊張感に欠け、「まるで映画とは思えない」「テレビ番組のように見える」のに愕然としたというのです。


Mobile Suit Gundam RX78_18 / ajari

4、一度きりの「究極の選択」

映画は「興行」である以上、予算、制作期間、上映時間、など様々な制約のもとで制作しなければならない芸術形態です。

そして、富野由悠季はその経験から、「プロデューサーの要求や上映時間などの外圧によって、監督が映画をカットせざるを得ない時には、そこで無意識うちに『究極の選択』をしている。その厳しさを軽視するべきではない」と考えるようになったのです。

映画に限らず、芸術作品は一度発表されてしまうと、作者を離れ「受け手の物」になってしまう側面があります。

作家は作品が自分を巣立つ、一度きりの瞬間に全てを賭けるべきであり、後付けで修正できる「ディレクターズカット」は作家の甘えと退廃を招く、というのが富野由悠季の主張だったのです。

もちろんこれは、正解の出ない問題です。

しかし近年、DVDでディレクターズカットが発表されたり、未公開シーンが特典で付くようになってから、「映画は編集による省略の芸術」であり、「描かないことも表現」であるという側面が、軽視されるようになったのではないかと思うのです。

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ディレクターズカットは映画の退廃? ①

1、未来社会の描写を変えた名作

フィリップ・K・ディック原作、リドリー・スコット監督によるSF映画「ブレードランナー」(1982年)は、今ではSFにおけるサイバーパンク・ムーヴメントの嚆矢となった名作とされていますが、公開当初は批評的にも興行的にもボロボロでした。

私は、今の渋谷ヒカリエの場所にあった、渋谷パンテオンという1000人以上入る大劇場で観ましたが、広い劇場の中に観客は10人程度で、未来のロサンゼルスのビルに光る電光掲示板に「強力わかもと」の文字が浮かんだ時には、広い劇場の空間に数人の笑い声が虚しく響きました。
 
Times Square looking more and more like Blade Runner… / angeloangelo

しかし、「ブレードランナー」の描く荒廃した未来は、それまでのSF映画における均一化されたクリーンな未来世界と全く異なっていました。
移民による異文化が支配した、猥雑で退廃しスモッグに煙る未来のロサンゼルスは、観る者に衝撃を与えました。
「ブレードランナー」を境に、SFにおける未来社会の描写は全く姿を変えました。未だに、SFの描く未来社会像は、その影響から抜け出すことが出来ないでいます。

ところで、「ブレードランナー」には、編集の異なるいくつものバージョンが存在する事でも有名です。

2、劇場公開版の感動

「ブレードランナー」が日本で劇場公開された際には、全編がハリソン・フォードのナレーションで進行し、ラストは一筋の希望を感じさせる終わり方となっています。

人類に反旗を翻したレプリカント、ロイ・バッティが、死期を悟って、自分たちを狙う殺し屋である筈の主人公を救いながら息を引き取るラストシーンに、作品のテーマを象徴するナレーションが重なりました。


Harrison Ford at Madame Tussaud’s New York / InSapphoWeTrust

「彼は何故俺を助けたのか?たぶん命を大事にしたかったんだろう。それが、たとえ誰の命であったとしても。俺の命でも」
「彼は知りたがっていた。自分がどこから生まれ、どこへ行くのか。いつまで生きられるか。我々だって、同じなのだ」

その瞬間、主人公が危険なレプリカントを追うSFハードボイドであったハズの作品が反転し、全く違う「人間の生への執着」というテーマを見せて閉じられるのに、深い感動を覚えたのです。

3、ディレクターズカットへの拘り

しかし、この劇場公開バージョンは監督のリドリー・スコットにとっては意に沿うものではありませんでした。試写の段階で不評だったために、映画会社に強要され改変したものだったのです。

リドリー・スコットはその後、ナレーションを抜いて暗いラストを強調する形に編集し直した「ディレクターズカット」を1992年に発表。それでも満足せず、さらに2007年には、ディレクターズカットを元にブラッシュ・アップを加えた「ファイナル・カット」を発表しています。


Ridley Scott / Gage Skidmore

最初の劇場公開から25年を経てなお、自分のビジョンを貫こうとしたリドリー・スコットには敬意を表します。これは、普通なら、クリエイターとしてのリドリー・スコットを讃えるエピソードになるハズでしょう。

しかし、「ブレードランナー」のディレクターズカットは、受け入れる人と拒絶する人にハッキリと別れました。

特に、当初から「ブレードランナー」を高く評価していた人達には、必ずしも評判が芳しくありませんでした。

4、これは「ブレードランナー」じゃない

最初のバージョンに感動し、気に入ったセリフやナレーションを暗唱してしまうほど何度も繰り返し観た人間にとって、正直に言ってディレクターズカットは違和感の残るものでした。

私は、「あのナレーションが無い『ブレードランナー』なんて『ブレードランナー』じゃない」と、リドリー・スコットの折角の努力を「余計なお世話」とすら感じてしまいました。

映画評論家の石上三登志は映画監督の金子修介との対談において、本当に意義のあるディレクターズカットは少ないのではないか?という話題で、「ブレードランナー」に触れています。

金子「『ブレードランナー』にしても、劇場公開版の方が良いと思いましたし」
石上「そう!あれは、ナレーションの付いた最初の版の方が、遥かに優れていると思う」

多くの人に影響を与えた名作であるからこそ、例え監督自身によるものであったとしても、事後の改変に違和感を示す人が出るのでしょう。

そして、それは単に「気に入ったモノを変えて欲しくない」という感情だけではなく、映画が「編集の芸術」であることにも、原因があると思うのです。

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映画監督は編集を守ろうとする

1、ヒッチコックの受けた衝撃

イギリスでサスペンス映画の監督として「バルカン超特急」などの傑作を生みだし、第一線の地位を獲得したアルフレッド・ヒッチコックは、40歳にしてハリウッドに招聘されました。

しかし、意気揚々とアメリカに渡ったヒッチコックは大きなショックを受けます。ひとつは、アメリカではイギリスと違ってサスペンス映画の地位が低く、サスペンス・スリラーというだけで有名なスターは出演してくれないこと、そしてもう一つは、黄金期のハリウッドでは映画はプロデューサーのもので、監督には映画の最終編集権が無いのが普通だったことです。

「モンタージュ理論」の信奉者で「編集こそ映画の本質」だと考えていたヒッチコックにとって、編集権のない映画作りなど考えられなかったのです。


‘Vogue’ / Un divertimiento de @saulomol. Avatar: M. Eichele

2、ヒッチコックの戦略

ハリウッドで映画作りを始めたアルフレッド・ヒッチコックは、撮影の前にシナリオ全編を絵コンテにしていました。ヒッチコックに言わせれば「この絵コンテに従えば誰が撮っても同じだ」というほど詳細な絵コンテだったそうです。

そして、実際の撮影はストーリーの順番通りには撮らず、絵コンテをバラバラにして、ワンカットずつアトランダムに撮影して行きました。ヒッチコックは絵コンテを公開していませんでしたから、撮影済のフィルムをシナリオ通りに再構成できるのは、基本的にヒッチコックだけでした。

これは、ハリウッドに渡った当初、編集権を持っていなかったヒッチコックが、監督としての「自分の編集」をプロデューサーから守るために考え出した戦略だったのです。
結局、ヒッチコックの映画については、プロデューサーも最終編集をヒッチコックに任せるしかなかったのです。

やがて、ヒッチコックは監督であると同時にプロデューサーとなり、映画のすべてを自らコントロールして行くことになります。


Hitchcock considers Hollywood. / Ben Ledbetter, Architect

3、編集はメインスタッフ

欧米の映画界では、映画の「編集マン」の地位は日本よりずっと高いもので、映画のメインスタッフの一人と考えられています。特に、映画監督に必ずしも編集権が無く、「編集」という作業が監督から独立しているハリウッド映画のクレジットタイトルを見ると、「編集」が脚本家や撮影監督、美術監督と同等の地位を与えられていることが分かります。

脚本家や撮影監督が映画監督へと進出して行くことは日本でもよくありますが、ハリウッドでは編集マン出身の映画監督も多いのです。

大島渚はフランスで「マックス・モン・アムール」を撮った時を回想して、こう言っていました。
「向こうの編集者の権限っていうのはやっぱりすごい。日本の場合とはずいぶん違いますね。撮影が終わった後は、全部、編集者の管轄に入る」


Paris / Moyan_Brenn

Paris / Moyan_Brenn

4、カメラの中で編集する

大島渚は、編集者が強い権限を持つフランスにおける撮影で、自分のフィルムをどのように守ったのでしょう?
評論家の蓮實重彦が「マックス・モン・アムール」における編集のタイミングを称賛し、編集者との関係を尋ねると、大島渚はこう答えました。

「あれはほとんど切ってないと思います。つまり僕があそこまでしか撮ってないんです」「僕はほんとに余分な部分を撮らないですから」

大島渚は、撮影時に編集後の映画の形までイメージして、必要な部分しか撮らなかったのです。いわゆる「カメラの中で編集する」やり方です。この方法だと、映像素材そのものが必要最小限しかないので、編集者による改変の余地はほとんど無くなってしまいます。

もっとも、通常プロデューサーは上映時間の関係から映画を短くしたがり、監督はせっかく撮影した映画のシーンをカットするのを嫌がるものなのですが、大島渚は逆でした。「マックス・モン・アムール」では、大島渚がカットしてしまったシーンのいくつかを、プロデューサーの希望で復活させています。

映画を編集するということは、ショットを「つなげる」と同時に「切る」ことでもあります。そして、大島渚は「映画では、見せないことが表現になる」ということに、非常に自覚的な映画作家でした。

「僕は映画をカットするのが好きですね。他人の映画を観ても、切りたくてしょうがなくなる」


Stanley Kubrick painted portrait DDC_2439.JPG / Abode of Chaos
 
Buddhist view; death as transformation with the opportunity for enlightenment, Buddhist philosophy in the West, Dr. Dave Bowman (Keir Dullea), 2001 A Space Odyssey, written by Arthur C. Clarke, directed by Stanley Kubrick / Wonderlane

5、映画の完成形とは?

スタンリー・キューブリックは、映画の編集に最低1年間を費やしました。編集こそ映画という芸術を他と区別している独自のものだ、として映画監督を志すものはまず編集について学ぶべきだ、と考えていたのです。

「編集は他のどんな芸術の形式にも似ていない、映画製作の唯一のユニークな局面だ」

スタンリー・キューブリックは亡くなる数年前から、自分の映画の未使用シーンを廃棄することに熱中し始めました。彼のスタッフの仕事のほとんどが、フィルムのジャンクに費やされたそうです。完全主義者のキューブリックにとっては、自分が編集した姿こそが映画の完成形であり、他人にそれ以外のバージョンが発表されたりするなど許せないことでした。

キューブリックは死後に、自分の使用しなかったシーンが「未公開シーン」等としてDVDの特典に付けられたりするのを恐れていたのです。まるで、自分の死期を悟っていたようにも感じられます。

近年、映画がDVD等でリリースされる時に、ディレクターズカットや完全版など、劇場公開時にカットされたシーンを戻したり、編集をし直したりするケースが一般的になりました。
劇場公開には興行的制約も多く働きますので、これは映画にとって一見よいことに思えるのですが、本当にそうでしょうか?

次回は、それについて考えてみたいと思います。

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「映画における演技」とは?ヒッチコックとモンタージュ理論

1、たかが映画じゃないか

サスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『山羊座のもとに』(1949年)の撮影中、主演のイングリッド・バーグマンは終始イライラしていました。大がかりなセット撮影の段取りばかりが重視され、「役者」としての自分は放っておかれている、と感じていたのです。


Ingrid Bergman / Film Star Vintage

ヒッチコックの撮影は詳細なコンテを元に、カットを細かくバラバラにして、同じセットのショットをまとめ撮りする方法でしたから、自分が今何を演じているのかも良くわかりません。しかも、ヒッチコックは「シーンの意味」など説明せず、「こっちを向け」とか「ここからあそこへ歩け」と「動き」の指示をするばかりでした。
イングリッド・バーグマンは、ついに爆発しました「これはいったい何なの?私は何をやっているのよ?」

すると、ヒッチコックはバーグマンの肩に手を置いて静かに囁きました「イングリッド、そんなにカッカするなよ。たかが映画じゃないか」

2、映画における演技

これは、ヒッチコックとイングリッド・バーグマンの非常に有名なエピソードですが、その意味するところは意外に知られていません。二人の対立は、映画監督と俳優の「映画における演技」についての対立だったのです。


Alfred Hitchcock Presents / twm1340

映画がまだサイレントだった1925年に映画監督としてのキャリアを始めたヒッチコックは、伝統的な「モンタージュ理論」の信奉者でした。
ですから、「演劇的な演技」と「映画の演技」とは違うものだと考えていて、映画の中で演劇的な「お芝居」をされることを嫌がりました。

ヒッチコックは、自分の映画にケーリー・グラントやグレース・ケリーのような、いわゆる美男美女の純粋な「映画スター」を起用することを好みました。これは、プロデューサーでもあったヒッチコックの興行的判断がメインでしたが、演技のスタイルにもその理由があったのです。

3、ただ立っていろ

ヒッチコックは、1966年の「引き裂かれたカーテン」の主演にポール・ニューマンを起用した際に、メソッド・アクターへの不満を漏らしていました。


Paul Newman / classic film scans

メソッド演技をする役者は、アップを撮ろうとする時も「このシーンはどういう状況でしょうか?」「どんな感情を込めれば良いでしょうか?」といったことに拘って、「ただ立っていろ」と言ってもそれが出来ない、というのです。

演技をする際には当然の拘りのように思えるのですが、ヒッチコックがアップを撮る時は「何も考えていない」ただ無表情なアップを望んでいました。
それは、ヒッチコックが「映画はモンタージュに演技をさせるもの」だと考えていたからです。

モンタージュとは映画の編集のことです。サスペンスの巨匠であるヒッチコックは、映画の作り出すエモーションの全てを編集によって作り出し、自分でコントロールしたいと考えていたのです。

4、モンタージュに演技させる

例えば、交通事故で死んでしまった子犬の映像の次に無表情な男のアップを繋げると、それは悲しげな顔に見えます。ところが、エロティックな女性のヌードの映像に同じ無表情なアップを繋げると、今度は同じ顔が、何だかイヤラシイ顔に見えるのです。


Kate / zanerudovica
 
Room66 Girl / room66

ヒッチコックによれば、これがモンタージュによる「映画の演技」であり、この時、もし俳優が「悲しげな表情」や「イヤラシイ表情」を演技してしまったら、それは「過剰」な表現になり映画の中での芝居がクサくなってしまう、というワケです。
ヒッチコックは、必要以上の演技は自分が編集によって作り出そうとしている映画の繊細な感情のバランスを乱す、と考えていたのでしょう。

これは、役者に「自我を持つな、監督のための道具になれ」と要求しているようなものです。キャリアの最初からハリウッド映画の世界で生きて来た「映画スター」は、そうした映画の仕組みに慣れていましたが、演劇出身の役者や「表現する演技」への指向が強い役者にとっては、窮屈で充実感のない役割でしょう。

5、俳優は家畜?

アルフレッド・ヒッチコックが言ったとされる有名な言葉に、「俳優は家畜だ」というものがあります。これは、俳優の自我に基づく演技を「無用なもの」と考える、ヒッチコックの演出に対する考えを象徴していると言えます。


Ingrid Bergman / manitou2121

イングリッド・バーグマンは「単なるスターではなく、表現者でありたい」という想いを強く持っている女優でした。彼女は「山羊座のもとに」に出演した後、イタリア映画界のネオレアリズモの巨匠、ロベルト・ロッセリーニに心酔し「ハリウッド映画とは違うリアルな芸術」を求めて、ハリウッド・スターの地位を棄てロッセリーニの元へ飛び込んで行きました。これは「世紀のスキャンダル」として、世界を騒がせるビッグニュースになります。

ヒッチコックの「たかが映画じゃないか」という囁きが、イングリッド・バーグマンに、ハリウッドとの決別を決心させたのかもしれません。

ところで、ヒッチコック自身は「俳優は家畜だ」という言葉を本当に言ったのかと聞かれ、こう答えていました。
「俳優は家畜だと言ったことはないよ。私が言ったのは『家畜のように扱われるべきだ』ということだね」

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「世界のオーシマ」はシンプルで奥深い

1、巨星落ちる

2013年1月15日に大島渚が亡くなった時、「戦場のメリークリスマス」の主演デヴィッド・ボウイは「オオシマさんの魂が、この世を去った。彼の才能の恩恵を受けた我々は、今それを惜しむばかりだ」と追悼しました。

大島渚の死は、日本映画界にとってはもちろん個人的にも大きな事件でした。映画に余り興味のない人たちには、テレビ文化人的なイメージを持たれていましたが、それは、間違いなく日本映画界の巨星が落ちた日だったのです。

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2、政治的前期と商業的後期?

昨年1月「NNNドキュメント’14 反骨のドキュメンタリスト~大島渚『忘れられた皇軍』という衝撃」という番組で、1963年に発表された「元日本軍在日韓国人傷痍軍人会」を扱った怒りに満ちたドキュメンタリーが、長いブランクを経て再び世に出ました。
それをきっかけに、太平洋戦争前の世界に回帰するかのような今の日本の流れの中で、常に時代と闘っていた大島渚の仕事に改めて注目が集まっています。

大島渚のキャリアは、1959年のデビュー作「愛と希望の街」から1972年の「夏の妹」までの、極度の低予算で観念的かつ政治的な作品を量産した前期と、1976年の「愛のコリーダ」を境に「世界のオーシマ」となった後期に、分かれるのではないかと思います。

そして、前期の大島渚が好きな人の多くは、後期をあまり評価しない傾向にあるようなのです。

3、世界のオーシマ

「世界のオーシマ」となってからの大島渚は、文化人としてテレビにも多く出るようになり、商業的になって作品の尖鋭さも薄れた、という印象を持たれているのでしょう。


Cannes Film Festival 2011-1993 / soaringbird
 
Cannes Film Festival 2011-2000 / soaringbird

実は私は、前期の大島渚にも敬意を払っていますが、後期の大島渚がより好きなのです。多分、少数意見ではないでしょうか。

前期の大島渚は非常に多作で、約10年間で20本以上の作品がありますが、後期になるとグッと寡作になり、20年以上かけて5本の作品しか残していません。
しかし、その5作「愛のコリーダ」「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」「マックス・モン・アムール」「御法度」は、世評はともかく、私は一本も駄作が無い秀作群だと考えています。

後期の大島渚は、政治的テーマを背後に隠して、シンプルですが奥深くなっていると思うのです。

4、最高傑作「愛のコリーダ」

阿部定事件を題材に、男女の愛を正にストレートに描いた大島渚の最高傑作「愛のコリーダ」は、未だに日本では完全な形で観る事ができません。理由はハードコア・ポルノだからです。しかし、ポルノで本当に人を感動させてしまう奇跡のような作品なのです。

「愛のコリーダ」は、ポルノである事が表現の上で不可欠の要素になっているという点で、稀有の作品です。ボカしが有るのと無いのでは、作品の印象がまるで違うのです。
当時、日本で公開された不完全版は、例えれば「オードリー・ヘプバーンの顔にボカしの入ったローマの休日」とか「恐竜のCGにボカしの入ったジュラシック・パーク」みたいなものです。これでは、その作品を観ていないのと同じでしょう。

そのため、日本でだけ、センセーショナリズムとして扱われ正しく評価されませんでした。近年日本で、完全に近い形でリバイバルされ、やっと再評価されましたが、まだ本当の完全版ではないのです。

5、革命と伝統のアンビバレンス

私にとって個人的に重要なのは、やはり「戦場のメリークリスマス」になります。劇場でリアルタイムに観た初めての大島作品ですから。大島渚は、思想的には「革命」に理想を見る左翼でしたが、同時に右翼的な「伝統的」価値観にも惹かれていて、そのアンビバレンスを描くのが一つのテーマでした。

その意味で、前期と後期の端境期にある「儀式」は大島渚の代表作の一本でしょう。
敗戦後の日本を舞台に、家父長制度の中で生きる若者たちの苦悩を冠婚葬祭の「儀式」を通して描き、日本の戦後民主主義を総括しようとした作品です。

「戦場のメリークリスマス」と共通するテーマを扱っていて、観念的な大島渚の集大成と言えます。取っ付き難いですが、非常に見応えがあります。左翼的な方にも右翼的な方にもお薦めできます。

6、松竹大船流をパリで

大島渚は名匠、小津安二郎が映画を撮っていた松竹大船撮影所出身ですが、そこには「松竹大船流」と呼ばれる、オーソドックスな演出スタイルが確立していました。しかし、大島渚は、小津安二郎を「古い日本映画の権威」と位置付けて、敢て反発するアヴァンギャルドな作風で撮り続けました。
その大島渚が、初めて小津安二郎的な松竹大船スタイルの作風を見せたのが1987年の「マックス・モン・アムール」でした。ところが、それはパリ在住の英国外交官夫人と猿の不倫のドラマだったのです。


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初めて見せた松竹大船流演出が、パリを舞台にした、しかも猿との不倫ドラマとは!しかし、流石にその「松竹大船流」はハイレベルでした。

イギリス外交官夫人と猿の不倫なんて設定を聞くと何だかゲテモノみたいですが、そこには愛とは「異物」を受容することなのだ、というテーマが隠されています。にもかかわらず、テーマを表面から隠しきって、実にシンプルにスタイリッシュ語られた非常にハイブロウな作品なのです。

7、映像派、大島渚

大島渚の遺作「御法度」は、新撰組の男色騒動を描いて、大島渚としては肩の力が抜けた、ユーモラスで良い作品でした。
「御法度」は撮影監督、栗田豊通のキャメラによる美しい映像が印象的です。大島作品というとロジック先行なイメージがありますが、実は映像が美しかったのです。

大島渚の映画が若者を引き付ける最初の理由は、実はそのスタイリッシュな映像にあるのではないでしょうか?

劇団四季出身の演出家で厳しい批評家でもあった武市好古は、大島渚を「日本で数少ない色彩の演出ができる映画監督」だと評価していました。

最後に、大島渚の私的ベスト10を、年代順に挙げてみたいと思います。
「愛と希望の街」(1959年)
「青春残酷物語」(1960年)
「日本の夜と霧」(1960年)
「白昼の通り魔」(1966年)
「絞死刑」(1968年)
「少年」(1969年)
「儀式」(1971年)
「愛のコリーダ」(1976年)
「戦場のメリークリスマス」(1983年)
「マックス・モン・アムール」(1987年)

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ワンテイクしか撮らなかった巨匠、大島渚

1、キューブリックと大島渚

完全主義者スタンリー・キューブリックの演出方法について書いている間、私はある映画監督の名前を思い出していました。
それは、日本映画界の巨匠、大島渚です。

大島渚は色々な面でスタンリー・キューブリックと対照的な演出家でした。

スタンリー・キューブリックが一つのシーンを100テイク撮るほど粘ったのに対し、大島渚は基本的にワンシーンをワンテイクしか撮りませんでした。スタンリー・キューブリックが延々と繰り返すリハーサルを非常に重視したのに対し、大島渚はリハーサルを嫌い、ぶっつけ本番で撮りたがりました。

しかし、スタンリー・キューブリックと大島渚は、遠いようで近い場所にいた演出家だったのです。
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2、反骨の作家

大島渚は、1959年に27歳の初監督作「愛と希望の街」で鮮烈な登場をし、「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の俊才として注目を浴びました。ところが、翌年、日米安保闘争をテーマにした「日本の夜と霧」が上映を打ち切られた事件をきっかけに映画会社と対立し、松竹を退社してしまいます。

その後は独立プロ「創造社」を立ち上げ、主にATGと提携して「1000万円映画」という、当時としても超低予算の規模で政治的主張の強い映画を撮り続けます。

松竹退社の経過を見ても判るように、大島渚は「反骨の作家」でした。常に挑戦的なテーマを扱った大島渚の作品は、次第に海外の映画祭などで評価を高めて行きます。

そして、1976年に阿部定事件をハードコア・ポルノのスタイルで描いた日仏合作の「愛のコリーダ」で、センセーションと共に「世界のオーシマ」となるのです。
その後、「戦場のメリークリスマス」や「マックス・モン・アムール」など世界を舞台にした作品を発表しましたが、1996年に旅先のロンドンで脳出血に倒れます。一時期リハビリで回復し「御法度」を完成させますが、それを遺作に、2013年に80歳で亡くなりました。

大島渚の世界での評価は高く、特に欧州では20世紀を代表する偉大な映画作家の一人と考えられています。私が、もし「日本の映画監督から一人だけ選べ」と言われたら、黒澤明でも宮崎駿でもなく、大島渚を選びたいと思います。

3、ワンテイク・オオシマ

フランスで「マックス・モン・アムール」を撮影した時に大島渚に付けられたあだ名は「ワンテイク・オオシマ」でした。

大島渚は「ファーストテイクこそベストテイク」だと考え、リテイクを好みませんでした。
リハーサルを嫌ったのも、最も優れたパフォーマンスは一番最初に現れる、と考えていたからです。

「最初の一番良いものを繰り返すには、その後、何十回も繰り返さないとならない。ところが、ダメな監督はまず一番良いものを見てから、本番で『もう一度繰り返せ』と言うんだよ。カメラマンにとっても役者にとっても、それは、本当は無理なんだと思う」

4、人生は一度きり

大島渚の映画を観ていると、役者がコケそうになったり、セリフを噛んでしまったりするシーンに出くわしますが、その場面には奇妙なリアリティがあります。
彼は、ベストテイクどころか、素人が見ても明らかなミスショットであったとしても、ファーストテイクを使いたがりました。ミスをした役者からリテイクの申し出があっても、滅多に承諾しなかったそうです。

私たちは普段の生活で、真面目に振る舞っているのに言い間違いをしたり転んだりすることがいくらでもあります。それなのに、映画の中では常に完璧に演じるなんておかしいのではないか?と言うのです。

大島渚がいつも言っていたのは、「人生は一度きりしか演じられないのに、なぜ、映画では何度も演じられるのか。それは本当のリアルではない」ということでした。

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5、映画は俳優のドキュメンタリー

大島渚は「映画は俳優のドキュメンタリーだ」と考えていました。

ですから、プロの役者よりもミュージシャンなどの素人を使うのを好み、しかも、リハーサルをせずにぶっつけ本番で演じさせました。一見、無謀に思えますが、安っぽい作られた「お芝居」ではない「本物のリアリティ」を求めての演出だったのです。

大島渚は、「ワンテイク主義は、僕の良いところと悪いところを象徴していると思います」と述懐していました。

松竹を退社した後の大島渚は、非常に厳しい経済条件での映画製作を強いられました。
独自の演出スタイルは「お金も無い、時間も無い」という状況で、いかに迫力とリアリティを実現するのか?という試行錯誤の中で、実践的に発見されていったものなのでしょう。

大島渚の演出とお金と時間を湯水のように使ったスタンリー・キューブリックの演出は、一番遠いように見えます。
しかし、演出で「作られたものではないリアリティ」を実現しようとする考え方において、実は非常に近いところにあったのではないかと思うのです。

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誤解される巨人、スタンリー・キューブリック ③

1、「画家・タイプ」と「フォトグラファー・タイプ」

映画監督には二つのタイプがあります。言わば「画家・タイプ」と「フォトグラファー・タイプ」です。
画家・タイプは、監督の頭の中に映画の「理想の完成像」があり、それをスタッフとキャストを「使って」実現しようとします。スタッフとキャストは自分たちのイメージではなく、「監督のイメージ」の具現化に奉仕することになります。
フォトグラファー・タイプは、スタッフやキャストとの共同作業によって映画のイメージを創り上げてゆき、その世界を写し撮ろうとします。


SD46 / RK Production
 
Inside the Foundation Visual Art & Design Campus / vancouverfilmschool

「完全主義者」と評されるスタンリー・キューブリックは、一見、画家・タイプに思われがちですが、写真家出身の彼は正にフォトグラファー・タイプなのです。「完全」を目指しているのも、自己のイメージの押し付けではなく、スタッフやキャストとの共同作業の過程なのです。

2、リハーサルは創造だ

スタンリー・キューブリックにとっては、リハーサルやリテイクの「プロセス」そのものが、非常に重要でした。

「このショットのポイントは何か、興味を引くのはどこか、それがはっきりするまで私は待つ。すべてのアイディアが出尽くしたところで初めてシュートする。ここが映画作りのもっとも創造的な、そして難しい段階だと思う。だから撮影に入って日が浅い段階では、一日かけてリハーサルすることもある。これは単なるリハーサルを超えた、もうひとつの創造なんだ」

マルコム・マクダウェルは、「キューブリックは演技を指示してくれない」と不満を漏らしていましたが、キューブリックはむしろ、俳優は常に演出家の予想を裏切るべきだ、と考えていたのです。


Malcolm McDowell / emerikaphoto

「俳優が、監督の言ったことを無視したために悪い演技をすることは滅多にない。実際にはその反対のことがちょくちょく起こる」
「俳優は監督の意向を一貫としてものともしない、監督に対する絶大な自信と侮りを持つべきだ」

3、俳優とともにストーリーを仕上げる

彼が、撮影を100テイクも繰り返すのは「自分の言うとおりに演じろ」と要求しているのではなく、俳優によるオリジナリティ創出への期待なのです。

そしてリハーサルの過程で、俳優のアイディアも交えながら、当初のシナリオをどんどん変えて行きました。「時計じかけのオレンジ」で、主人公が「雨に歌えば」の主題歌を口ずさみながら暴行をはたらく映画史に残るシーンが、主演のマルコム・マクダウェルのアイディアだったのは有名な話です。

「シナリオは、リハーサルでも現場でも状況に応じて変えるから、シナリオ決定稿は撮影の最期になって、やっと完成するわけだ」

つまり、キューブリックが撮影に長い時間をかけるのは、あくまでも「俳優とともにストーリーを仕上げてゆく」ためであって「美しい映像を撮る」ことに主眼があった訳ではないのです。

「監督にとって、『どう撮るか?』はむしろ簡単な決定で楽な仕事だ。重要なのはシュートする前の段階で、『撮影するに足る何かを起こし得るか』への挑戦だ。撮る内容をいかに充実させるかなんだ」

4、内容とスタイル

一般的には「映像派」とされるスタンリー・キューブリックですが、実際には「映画は、まずストーリーだ」と考えていました。彼は喜劇王チャーリー・チャップリンの「街の灯」とエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」を、「内容とスタイル」という映画の本質における両極だ、として例えに出していました。

「チャーリー・チャップリンの映画を見給え。撮影技術的には特筆すべきところはないが、演じられている内容は力強く感動がある。反対の例はエイゼンシュタインの映画で、見事なスタイルで眺めて美しいが、ストーリーの上からは無意味な映像だ」

 

そして、キューブリックは、映画は「内容とスタイル」の融合を目指すべきだが、「どちらか一つを取れと言われたら、私はチャップリン(内容)を取る」と述べていたのです。

「私が興味を覚えるのは、第一にストーリーで、次にリハーサルとシナリオでそのストーリーを仕上げること。三番目がいわゆる映画的表現で、スクリーンに何を映し出すかだ。最初の二つは『人生』とかかわるもので、最後が『映画』にかかわるものなんだよ。人生と関係のないことを映画にしようとする連中は、いっぱい居るがね」

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